兵庫県の広報誌を読んでいたら、「庚午事変」の記事が目につきました。
Wikipedia から引用。
庚午事変(こうごじへん)は、明治3年(1870年)に当時の徳島藩淡路洲本城下で洲本在住の蜂須賀家臣の武士が、筆頭家老稲田邦植の別邸や学問所などを襲った事件。稲田騒動(いなだそうどう)とも呼ばれる。
ある意味、江戸時代以前の日本は「首刈り族」の社会であったと思うのですが、明治になっても血なまぐさい事件が起こっているのですね。
明治3年5月13日(1870年6月11日)、稲田家側のこうした一連の行動(徳島藩からの独立に関する行動)に怒った徳島藩側の一部過激派武士らが、洲本城下の稲田家とその家臣らの屋敷を襲撃した。また、その前日には徳島でも稲田屋敷を焼き討ちし、脇町(現在の美馬市)周辺にある稲田家の配地に進軍した。これに対し、稲田家側は一切無抵抗でいた。これによる稲田家側の被害は、自決2人、即死15人、重傷6人、軽傷14人、他に投獄監禁された者は300人余り、焼き払われた屋敷が25棟であった。
「稲田家側は一切無抵抗でいた」ってことですが、すごいなあ・・・
で、
この事件がなければ淡路島は現在も兵庫県ではなく徳島県であった可能性が高い。
そうやったんや・・・
で、徳島藩の首謀者たちは斬首、切腹に処せられたのだけれど、
これは日本法制史上、最後の切腹刑。死刑執行方法としての切腹は1873年(明治6年)に廃止となった。
ちなみに、関連の法制度(?)の変わった年月日を書いておくと
慶応3年12月9日(1868年1月3日) 王政復古
明治2年6月17日(1869年7月25日)版籍奉還
明治3年5月13日(1870年6月11日)庚午事変
明治4年7月14日(1871年8月29日)廃藩置県
ということで、明治4年になってようやく中央集権になったわけやね。