(労働者階級の歴史2)労働者階級の反乱 ブレディみかこ著
前回の最後から
1945年 ウィンストン・チャーチルの保守党が大敗北
クレメント・アトリーをはじめとする労働党政権
1948年から1970年代の始めまで失業者数が労働者人口の2%を下回る時代が続いた
アナイリン・ベヴァンの公営住宅
また図書館、博物館、体育館、学校など総合的な街のデザインを視野に置いていた
(しかしそのためなかなか量ができなかった)
またペヴァンはNHS(国民保健サービス)を作った
1951年 公営住宅の量があまりできなかったため
「公営住宅に入れたラッキーな労働者たち」に対する
「いまだに公営住宅に入れない労働者たち」の羨望と嫉妬のために労働党政権敗北。
中流階級以上は戦前税金も安く、低賃金の「召使い」もいて「いい時代」だった。
戦後は税金が高くなり、「召使い」を使うこともできない「楽園が失われた状態」であり、NHSができても、もともと高いお金を出して診てもらえていたので、有り難みはなかった。
1950年代。
消費財の所有。「繁栄」の時代。
(って、日本の高度経済成長と同じ?欧米も日本も同じようなものなのか?)
「分割払い」の時代。
消費税の導入と、中流以上の減税により、格差が拡大していく。
1951年 既婚女性の1/3が就労
1955年 全世帯の1/3がテレビを保有
1960年頃 既婚女性の40%が就労
全世帯の90%がテレビを保有
1950年代半ば以降 公営住宅が狭くなり質の劣化(とにかく作れ)
1951年 全人口の18%が公営住宅に住む
移民層の住宅不足は深刻。また住宅不足は移民のせいと言えば政治家の言い訳になった。
1956年 「怒りをこめて振り返れ」ジョン・オズボーン
1958年 ノッティング・ヒルとノッティングガムのスラム地区での人種暴動
白人労働者は、移民に住宅も仕事も女性も奪われている、という被害者意識があった。
「年上の女」ジョン・ブレイン
「土曜の夜と日曜の朝」アラン・シリトー
「密の味」(映画)シーラ・ディレイニ
1960年 公営住宅への入居者 25%
「ビートルズ」結成(前身のバンドは1957年から)
THE BEATLES - Please Please Me - 1963
「キンクス」や「ザ・フー」も生まれた。
マイ・ジェネレイション / ザ・フー
賃金の上昇と本が安くなり労働者階級でも本を読む人口が増えた。
「労働者階級の文化がクールなもの」という認識が広がり、中流階級出身者も「労働者階級から出た」と経歴をでっちあげるようになった。
アートが注目される→そういう人が集まってくる→しゃれたレストランやブティックが増える→地価・家賃高騰→貧困層は出て行き、より上の層が入ってくる
これを「ジェントリフィケーション」と呼ぶ
1963年 ブリストルでの移民関連の調査結果。
暴動が起こりつつ、労働者階級は隣人として移民を受け入れていっていることが報告されている。
1965年 人種差別禁止法(もちろん差別がきつかったからだよね)
1967年 成人男性の同性愛と、妊娠中絶が犯罪ではなくなった。
(それ以前のエピソードが映画「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」)
1968年 保守党イーノック・パウエルによる「血の川演説」
「移民が増えると暴動が起きて血の川のようになる」
この演説でパウエルは辞任させられたが、賛同する未組織港湾労働者が国会議事堂周辺でデモをした。それに対して労働組合に入っている労働者がカウンターデモをした。
1969年 虐待や姦通の事実がなくとも離婚が認められるようになった
1970年代まで 公営住宅への入居者 1/3(33%?)
貧困層の助け合い精神が称揚されることがあるが、「そうせざるを得なかった」という側面がある。(これ、日本の自殺稀少地域とかでも当てはまるかも・・・プライバシーがあまりないことと表裏になっている)
1970年 保守党 エドワード・ヒース政権生まれる
1971年 労使関係法(労働者の権利制限)
1972年 住宅法(公営住宅の賃料を市場価格によって決定する)
女性を中心とした不払い運動
様々な問題を話し合うお茶会(現在の「モーニング・コーヒーの会」)
非公式の託児所・学童保育そして助成の要求へ
1973年 オイルショック
1974年 ウィルソンの労働党政権。
トニー・ベンは雇用創出を唱えたが、ウィルソンはその説をとらなかった。
1976年 ウィルソン辞職。
後任はキャラハン。財政破綻を宣言し、IMF管理を受け入れる。
(後の韓国みたいなもんんか・・・)
労働党政権が緊縮に舵を取る。
(日本で民主党が消費税を導入したようなもんか)
1979年 保守党 サッチャー政権始まる
「階級はもはや無くなる。自分を助けるのは自分だ。社会や国に依存せず、個人が自分の努力と能力で成功を勝ち取る時代が来た」というサッチャーの信念は、組合があまりにも力を持ちすぎたせいで英国の経済が落ちぶれたのだと信じていた労働者階級の人々に支持された。
ってことなんだが、サッチャー以前、そこらじゅうにゴミが回収されないまま残っていたのが、サッチャー政権になってからそういうことが無くなった、というのはどう考えたらいいんだろう?組合があまりにも力を持ちすぎていてゴミを回収しなかった?
1981年 住宅法
財政破綻を緩和するために、IMFとの約束で財政支出を大幅削減する必要があった。それで公営住宅を売りに出し、「持ち家政策」をとることにした。結果としてコミュニティー解体。
本当に貧窮している人たちの住宅が無くなり、暴動が起きた。
1982年 雇用法
組合に入る義務が無くなった。
1984年 石炭庁が20の炭鉱閉鎖を発表。
1年のストライキが始まるが労働側の敗北。
映画「パレードへようこそ」
1990年 保守党 ジョン・メイジャーが政権につく
「階級の無い社会を作る」と公言
1992年 労働党勝利するも1994年ジョン・スミス党首死亡。
トニー・ブレアが首班に
しかしトニー・ブレアはサッチャーから「彼が一番できのいい私の息子」と呼ばれていた。
最貧困のコミュニティには「職業訓練」「生涯教育」「コミュニティセンターの充実」「幼児教育の充実(就学時の児童の発育格差が縮小できるように、貧困地区で包括的な保育サービスを行うチルドレンズ・センターを作る)」
と書いてくると「いいこと」ばかりをしているような気がするが・・・
結局、「事情があって働けない人」に冷たかったのかな???
で、このようなことをしているが、次の調査のような結果に・・・なぜだ?
1997年の調査 家族全員無職の家庭で就労年齢の人が450万人。
6人に1人が国の給付で生活している。これは西ヨーロッパでは最も高い数値。
1999年 「反社会的行動禁止令」
(ってことは反社会的行動が増えてたってことだよね。で、そういうことをする若い人はチャヴと呼ばれていたということだけど、それは「ヤンキー」をもっと激しく差別的に言い表す言葉なのかな)
認定されたら(?)町の中心街に出ることを禁止されたりもするそう。
1990年代後半を通じて「契約社員」の増加と生活の「不安定化」
(やはり日本と同じことが起こってたんや。ってかそれを日本がマネしたのか)
2007年 ブレア辞任ゴードン・ブラウンが首相に
2008年 リーマンショック
2009年 景気後退
2010年 保守党デイヴィッド・キャメロン政権
「ブロークン・ブリテン」を修復するというスローガンで
「福祉削減」「公務員給与凍結」「付加価値税(消費税)引き上げ」を行った。
不正受給狩り(?)が強化され「SCROUNGER(スクラウンジャー。タカリ屋)」という言葉が流行。
2011年 チャヴ暴動。
2016年 EU残留・離脱の国民投票。僅差で離脱が勝利。
キャメロン首相辞任、メイ首相就任。しかし緊縮の方向性は変わらず。
2017年 保守党 選挙で過半数割れ。
労働党、反緊縮策で票を伸ばす。
なお労働党党首コービンはトニー・ベンの弟子。
映画「わたしは、ダニエル・ブレイク」は2016年頃の話。
コービンが下院議会で言及したとのこと。
なお、やはり白人労働者の多くが「離脱」に票を入れたことは、既にたくさんいる移民にとっては裏切られた思いがすることだが、実は「緊縮策」によっていがみ合わされる状態になっているのでは、というのがブレイディ・みかこさんの見立てになると思う。
またキャメロンは「余計なこと(国民投票)」をした首相として記憶に残るだろう、と。