※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2017年12月10日

(労働者階級の歴史1)労働者階級の反乱 ブレディみかこ著




労働者階級の反乱 ブレディみかこ著
地べたから見た英国EU離脱


第III部 イギリスの労働者階級の100年

オックスフォードのセリーナ・トッドの
「ザ・ピープル イギリス労働者階級の盛衰」から、とのこと。


とりあえず、第二次大戦の終わりまで。

1910年(明治43年) 時代の転換点。「イギリス労働者階級出現」(ガーディアン紙)
1月 労働党28議席から40議席へ
5月 エドワード7世死去
ブラックカントリー(工場の煤で町が真っ黒だったから)のクラドリー・ヒースで、鎖工場の女性労働者たちが1日10時間(!)労働規制を求めてスト。労働側勝利。
11月 南ウェールズで炭鉱労働者スト。軍隊出動。
サフラジェットが国会議事堂で警官と衝突。



 しかし、サフラジェットの指導者、エメリン・パンクハーストと、鉄の女、マーガレット・サッチャーと、どっちもメリル・ストリープがやってるんだ・・・



保守系のタイムズ紙
「民主主義の行き詰まり」
保守系の論調
「英国の繁栄は貴族階級の知性と分別によるものであり、ものを知らない労働者階級に選挙権が与えられていなかったから、他国より成功してきたのだ」

100年後、EU離脱が決まってから
「無知な庶民に投票権を与えるな」
というのと相似


1911年(明治44年) 自由党政権が国民保険施行
     肉体労働者と年収160ポンド未満の者に、疾病と失業の保険を提供。
     この中には「召使い(つまり執事やメイド)も含まれていた。
     1911〜1914には「召使い問題」が新聞を賑わせていた。

考えたら召使いってプライベートのない超ブラック労働なんだな。

1914年 第一次大戦勃発。
    これにより召使いがいなくなり、軍需工場労働者となった。
    良い賃金を得られた。
1918年 第一次大戦終了。失業者があふれる。
1919年 暴動が起こる。

1917年にはロシア革命があったし、1918年にはドイツ革命があったし、上流・中流階級は労働者を恐れていた。

1920年代 メイドたちの反逆。フラッパー

追記
 あれ?と思って調べたら、日本のモダンボーイ、モダンガールもこのフラッパーと同じ頃だ。
 大正から昭和初期。背景として「大正デモクラシー」とか「大正自由教育運動」とかも起こったし。
 これは日本も第一次世界大戦で好況になったし、それを背景として同じような現象が起こったのだろうか?
 それとも、「情報」の流通で?



1926年 ゼネラルストライキ。9日間で労働側敗北。

1929年 ウォール街の株暴落
     英国も失業率上昇
1930年代にかけて「家計収入調査」の強化の時代。(失業保険をできるだけ出さないようにするため)

って、これ、昨日日本でされたことと同じちゃう?


スクリーンショット 2017-12-10 22.53.11.png

「現在の生活保護受給額」と「一般低所得世帯の生活費」を調査して比べて「下げろ」と言ってるのだから。

 こういう時代にあって、ドイツやイタリアはファシズムに流れていったが、英国がそうならなかったのは、労働組合が一定の強さを持っており、ドイツの失業者より年齢層が高かったから、という説。
 イギリスのナチ支持者は富裕層だった、と。

1942年 ヘヴァリッジ報告書(ゆりかごから墓場まで)
1945年 にかけて労働者の地位向上。(戦争になると軍需が強まる)
子どもたちの疎開計画に携わった人たちが、戦後の教育改革と社会改革に寄与した。

 1926年には「国家の悪魔」と呼ばれ、1930年代は「国家の寄生虫」と呼ばれていたのが、この頃は「ピープル」と呼びかけられるようになった。

1945年 ウィンストン・チャーチルの保守党が大敗北
     クレメント・アトリーをはじめとする労働党政権
1948年から1970年代の始めまで失業者数が労働者人口の2%を下回る時代が続いた
アナイリン・ベヴァンの公営住宅
また図書館、博物館、体育館、学校など総合的な街のデザインを視野に置いていた
(しかしそのためなかなか量ができなかった)
またペヴァンはNHS(国民保健サービス)を作った




posted by kingstone at 23:23| Comment(0) | お金・暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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