"町内会"は義務ですか 紙屋高雪著
最近、地域の「町内会みたいなもの」デビューをしました。
なんか社会福祉協議会の支援を受けて困りごとを解決しようみたいなことを始められてて。場合によったら「朝のゴミ出し」のお手伝いくらいだったらできるかな、と、その前段階の勉強会には出席させてもらいました。
あと、地域の人たちのそれこそ「居場所」的なところとしてカフェも曜日限定で始めてはったのですが、土曜日も仕事があるので行けていませんでした。しかし現在の職場を退職することになり、少し時間に余裕ができたので、初めて行ってみました。
ごく普通の(ドトールやマクドナルドとかじゃなく)喫茶店の価格でした。少し高めかなとも思ったけれど、まあコミュニティ維持費用かなと、一週間に一度くらいは行ってみようと思いました。
私の場合は、まあ隅っこのほうでちょこっと何かができたらいいかな、くらいで思っていますが・・・
紙屋さんの場合は、それまで頑張って町内会長をやってこられた方が突然亡くなり、「会長を引き受けてくれないか。私達も協力するし」と話をもって来られて引き受けはります。
実は、私は大学時代に学生自治会の役員をやっていました。学生自治会というのは、まあ、中学校や高校にある生徒会のようなものだとまずは考えてもらっていいでしょう。その全国団体の役員もしていたこともあります。浜田さんも鶴島さんも、私のそういう経歴を知っていました。だから、この男なら、御輿の上にかつがれてもいい、と言いだすのではないかという目算があったのだと思います。
いや・・・大学の自治会は中学や高校の生徒会とはだいぶ違うと思うぞ・・・
Wikipediaに紙屋さんの経歴がありました。
またこんなブログをやってはります。
しかし、この協力すると言っておられた方達、ご家庭の事情でほどなく転居・・・
たいへんやあ。
なお、「町内会」と「自治会」は同じものと思って構わないんだって。
その他の名前としては「区」「町会」「部落会」「区会」とかがあるって。
いろんな自治会でやっていることの例
○夏祭りなどの地域のお祭り
○回覧板による住民への広報活動
○防犯灯の設置と維持管理
○清掃活動・リサイクル活動
○中にはビジネスに取り組むところも
○高齢者の見守り 住民の相談、生活支援
なお、紙屋さんも24時間電話OKにしてみたが、
かかってきたのは2か月に1本程度だったとのこと
なお、紙屋さんは文を書いたり広報文書を作ったりはめちゃ得意だからそこの分野で頑張っただけで、「どうだ、こんなすごい活動をしたぞ」というようなことは無い、と書いてはりますが、後を読めば、なかなかできないことをやってはる。
なお、地元の外国語学校が、中国人留学生の寮としてUR団地の空き部屋を借り上げるという計画が団地に持ち込まれた時にURと団地住民の間にたってやったこと。
大量の通学用自転車が持ち込まれて駐輪場がパンクするのではないか、という心配に対して。
・学校は学生にシールを渡す。(どれが外国人学校関連の自転車かわかる)
・団地の人たちがそれまでにあった放置自転車を撤去。
・それでも場所が足りない場合はURに駐車場増設をお願い。
結果 日本人もびっくりするくらいマナーの良い駐輪が実現した。
(ってか、それまで日本人もええかげんだったに違いない)
よく、
「外人はゴミ出しマナーがなってない」
「外人は駐輪マナーがなってない」
とか文句を言ってはるのを聞いたり見たりすることも多いけれど、それ以前の努力を地域の人がしていない点も多々あるやろな。
漫画「テルマエ・ロマエ」でロシア人の入浴マナーが悪かったのは、わかるように伝えていなかったからで、視覚的にわかるように伝えたら、マナーが良くなった、ってストーリーがあったけど。
しかし紙屋さん、「校区」の会議は忙しくて出られない、と宣言してはりました。
どんな方が参加しているかと言うと・・・
・町内会長 たくさん
・防犯委員会
・防災委員会
・交通安全委員会
・衛生委員会
・環境委員会
・男女共同参画委員会(旧婦人会)
・青少年健全育成委員会
・体育協会
・社会福祉協議会
・老人クラブ
などの団体の代表者
なお、「校区」の会議に欠席し続けていると、「校区」の規約に「欠席はまかりならぬ」みたいな文言が加えられ、ついにはある時出席したら「吊し上げ」されてしまいはります。
「吊し上げ」?「査問」?「総括」?
いやはや・・・
もちろん「校区」の会長さんは一生懸命なのでしょうが・・・
ところで、大山さんや石田さんはなぜこんな「暴挙」に出たのでしょうか。
実は、私以外にもこのようなつるしあげにあった町内会長は何人も出ました。
やはり私と同様に、出席率・動員率が悪いということで、居残りさせられ、集団で罵倒を浴びせられたのです。一人の町内会長は、心を入れ替えることを誓わされました。
別の町内会長は、休会して校区と無関係に行事をやっていることをなじられて、やはりつるしあげられました。この人は、町内会長をやめて、別の町内会長に交代しました。
他にも数例ありましたが、手法はすべて同じだったようです。
会議で突然追及され、居残りさせられ、つるしあげられるという手法です。
中国の「文化人革命」時代に、ある日突然悪者にしたてあげられてしまう指導者の話を思い出しました。
大山さんをはじめとする校区自治協の役員のみなさんは、行政が求める補助金の要綱(行政が定める8つの事業をきちんとやり、校区内の8割の町内を組織できれば補助金を受け取れる。第1章参照)どおりの模範的な活動をきっちりそろえようとしています。それを補助金目当てだとか私物化したいのだと悪口を言う人もいるのですが、私は必ず
しもそうは思いませんでした。
もともと大山さんは、それ以前の自治協の悪いところをただすという姿勢ででてきた会長で、新しい機軸を次々とうちだしていた自治協会員でした。最初に校区の自治協を脱退していった町内会は、「旧弊」扱いされたようで面白くなく、そのあつれきのなかで抜けていきました。
いわば改革者として登場したのが大山さんでした。なので、嫌がる人も多いのですが、逆にファンもいるのです。
しかし、行政が求める「町内会・校区像」に強く縛られ、それを無理矢理にでも実現しようとして、規約や威嚇まで使うようになってしまったのでしょう。ふと、ロシア革命がその後、スターリン体制の恐怖政治になってしまったことが思い起こされました。
大山さんは「行政の下請け」であることを極端にまで推し進め、いっさいのボトムアップを否定してしまった存在だということができます。その中でおきた悲劇ではないかと、私は今では考えています。
つるしあげをうけて、日付も変わりかけた夜道を、私は自転車をこぎながら、「もう自治会長をやめよう」と心に決めていました。ここまでの負担を背負ってやるものではないと思ったからです。
これは町内会が「住民の親睦を深める」「住民の困りごとを行政などに伝える」という役割と、「行政の下請け」の役割の二面があり、その後者の面だけをやろうとした悲劇かな。
なお、紙屋さんはこの本の中でも「私はコミュニスト」と定義しておられます。
そして、当然のことながらコミュニストとコミュニティは語源は同じですね。
で、紙屋さんは会議を開いて会長をやめようとしますが、後を引き継ぐ人が誰も出ません。そこで町内会を解散することにしようとしますが、参加者のお一人が「祭りだけでもできるような会を作りませんか」と提案され、現在の町内会は休止して、新しい会を作られます。その会は
・加入の強制なし
・加入者もできる時にできることだけすればいい
合い言葉
「『今回は遠慮させてもらいます』
『当分は忙しいです』を気軽に言える自治会に」
・町内会費なし(それまでの町内会費には手をつけない)
・全員まったくのボランティア
(好きでやっているのだから、
やっていない人に文句は言う必要ない)
・もし「いやもっときちんとした町内会にしよう」という
人が出てくれば、休止した町内会の会費を引きついで
やって下さってよし。(「言い出しっぺ」の原則ですね)
なお、町内会・自治会は「強制加入では無い」という最高裁判例が出てるそうです。
また町内会・自治会や「絆」が息苦しいものになるのは、「負の社会関係資本」と言える。社会関係資本というのはいいものばかりではない。その典型例は戦時中の町内会かも。