※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2017年03月25日

オープンダイアローグとは何か 斎藤環著+訳




オープンダイアローグとは何か 斎藤環著+訳

 なるほどなあ、の連続でした。
 しかし、これをお医者様が実践に使うのはかなりたいへんかもしれない。
 本の中でもそれが書かれてます。
 ひょっとしたらケースワーカーや相談支援でのほうが似たような形を取れるかもしれない・・・しかしむつかしいかなあ・・・


 太字(ボルドー)が本からの引用

 セイラック教授はオープンダイアローグが「技法」や「治療プログラム」ではなく、「哲学」や「考え方」であることを繰り返し強調しています。


で、その源流はバフチンとヴィゴツキーだって。


1895-1975
 ロシアの文芸評論家、言語哲学者。
 言語現象の原理探究を生涯のテーマとする。
 言語を発話者個人の内面に帰属させる見方と、
言語を個人から自律した抽象的構造体とみなす
構造主義という当時の言語学の二大潮流を同時に
批判し、社会と集団の観点から言語現象の本質
として「対話性」を見出した。ポリフオニーや
ヘテログロシアなどの概念はこうした文脈から
登場したものである。



1896-1934
 旧ソヴィエトの心理学者。
 幼児の発達研究で大きな貢献を残した。彼の研究によれば、
@人間の精神は記号、特に心理的道具としての言語を
 使用することをその機能としており、
A精神発達の過程において、まず人々とのあいだで
 対話を通して記号使用を学び、そのあとに個入内での
 言語使用つまり内言が可能になるという順序をたどる
 (社会的水準から心理的水準へ向かう発達)。
 この研究によって、個人の内面の発達から社会性の
獲得へ向かうと考える当時の発達観を覆した。
 38歳の若さで亡くなったために、研究としては不十分
な点が残るとされるが、この点に関して心理学者
ジェームズ・ワーチがバフチンの理論で補完できると主張し、
ヴィゴツキーとバフチンをつなぐ研究を行っている。この
研究がオープンダイアローグに流れ込んでいる。


やり方について

 患者もしくはその家族から、オフィスに相談依頼の電話が入ります。このとき、電話を受けるのは医師だったり看護師だったり心理士だったりPSWだったりとさまざまです(実際には看護師が多いようです)。いずれにしても、最初に相談を受けた人が責任を特って治療チームを招集し、依頼から24時間以内に初回ミーティングがおこなわれます。
 参加者は患者本人とその家族、親戚、医師、看護師、心理士、現担当医、そのほか本人にかかわる重要な人物なら誰でもいいのです。このあたりの非常に「オープン」なところが、この治療法の特徴です。このミーティングは、しばしば本人の自宅でおこなわれますが、場所は別にどこでも構いません。初期のオープンダイアローグは病棟でおこなわれていましたし、ホテルの一室でおこなわれる場合もあります。


 これを読んだ時、「絶対日本じゃ無理じゃん。予定の調整、人件費、その他その他・・・」と思いました。しかし、斉藤さんが台湾でワークショップを受けた時、ミーティングに参加するスタッフの人数について質問したところ、あれ?該当箇所を発見できない・・・確か「一番いいのは3人」と回答があったと書いてあったと思うのだが。
 3人ならなんとかできるかも、と思った。
 例えば相談支援では「支援会議」だったらもっと集まるし、介護保険のケアマネさんの「担当者会議」でもそのくらいは集まることは普通だろうし。

 そして、初期の密度の高い対応によって、結局コスト(それはご本人のQOLもだし、専門家の人件費もだし)は安くつく、と。


 そして、何かが決定される場合は、必ず本人のいる場で、と。

 薬物治療や入院の是非を含む、治療に関するあらゆる決定は、本人を含む全員が出席したうえでなされます。スタッフ限定のミーティングなどはいっさいありません。本人と家族、関係者ら全員の意向が表明されたのちに、治療の問題が話し合われます。
 仮に患者が入院した場合でも、同じ治療チームがかかわりを持ち続けます。こうした心理的連綺陛は、患者や関係者の安心を支えるうえで、きわめて重要な要素です。緊急事態が去り症状が改善するまで、同チームのかかわりは、本人のみならず家族に対しても続けられます。発症直後のような緊急時に、密度の高い介入をおこなうという点で、オープンダイアローグは通常の家族療法とは大きく異なっています。

 そして

 クライアントやその関係者など、すべての参加者には、平等に発言の機会と権利が与えられます。ミーティングにはファシリテーターはいますが、対話を先導したり結論を導いたりするような「議長」や「司会者」はいません。ちなみにファシリテーターとは、中立な立場を保ちながら折に触れて話し合いに介入し、議論がスムーズに進行するよう調整しながら、相互理解に向けて、議論を広げたり深めたりするような役割を負った人のこと指します。
 また原則として、話し合いの最中には、スタッフとクライアントのあいだにもはっきりした区別はもうけません(後述する「リフレクティング」の場合などは別ですが)。ただしこれは、「専門家」や「患者」の立場を否認する、という意味ではありません。オープンダイアローグでも患者(patient)ないし専門家(professional)という言葉は普通に用いられます。
 重要なことは、オープンダイアローグにおいて「専門性]は必要ですが、「専門家が指示し、患者が従う」といった上下関係は存在しない、ということです。オープンダイアローグとは、専門家と患者が、完全に相互性を保った状態で対話をすることなのです。


 そして「反薬物治療」や「反精神医学」でないことを、斉藤さんは強調している。
 いや、ほんま、勘違いして「褒める」つもりでとんでもないことを言い出す人がいるだろうことは想像に難くないからなあ。

 で、毎回、最後にファシリテーターが結論をまとめるのだけど、「何も決まらなかった」ことを確認する場合もあり、また1回は1時間半程度で十分とのこと。

 なお、リフレクティングというのは、ご本人の前で専門家同士が話し合うこと。「自分の目の前で自分の噂話をされる」という状況に近いと斉藤さんは書いてる。

 後ろのセイラックさんの論文を訳した部分で例が出て来ます。
 この対話の中のTMとTFがやりとりしている部分がリフレクティングにあたるそう。

M(息子)レスリングをしてたんです。
TF(女性のセラピスト)本気のけんかだったんじやないの?
M  誰かを戦わせるみたいな……
TM(男性のセラピスト)どっちからつかみかかったの?
M  父がキレてきたんですよ。
TM どっちから始めたのかな。
TF  どっちが押さえ込んだの?
M  え?と、僕が父の首根っこを押さえました。
Mo(母親)そうでしょ、私が言ったでしょ……(笑)
M  体を鍛えたことはなかったけど、がっちりヘッドロックを
  決めてやりました。父は何年もボディビルをしてたし、
  僕はろくに運動したこともなかったんで、ちょっと怖かったけど。
TM(他のチームメイトに向かって)うん、これはあれだね、
  きみんとこの子が怒ったときの……
TF っていうかね、お父様も息子さんがこれだけ強くなったことを
  自慢に思ってもいいんじやないかしら……
TM うんそうだけど、でも自分かつかみかかられてごらんよ……
TF それでもね、お父様は、息子さんがレスリングで負けない
   くらい大人になったことを自慢していいわよ……
M 事実を話して構いませんか?
TF 息子さんの言ったことについて考えてたんだけど、
  あの夢がすべてかどうかについて……
  でも彼のご両親とは議論になっていた。
M けれど、あなたにも考えてほしい……
TF こんなことは思春期くらいじやよくあるわよね。
  何にでも反対してけんかしたりとか。
TM そう、こういうことはつまり……
TF  ……遅い思春期。
TM 急成長というか、別の形の?
TF 別の形ね。私が思うに、お父様が数学教師だったりすれば、
  発狂しそうなくらいの難しい状況になるわね、もちろん。
M そう、それは2=1にしようとした僕にとって
  最後の藁一本〔訳注jみたいなものだった。
TF そうね、最後の藁に違いない。
M 父さんは僕が殺意を持っていると誤解して……

訳注
「最後の藁一本が、らくだの背骨を折る]から。


この手法を支える理論

1.詩学(poetics)
  1)不確実性への耐性(あいまいさに耐える)
  2)対話主義
  3)社会ネットワークのポリフォニー
2.ミクロポリティクス(micropolitics)

   斉藤さんはミクロポリティクスについて制度的背景のこと、と書いてはる。
   このYahoo!知恵袋を読むと、曖昧模糊としたものに対処しているうちに
   明確な形をとってくるもの、とか書いてるので、あれこれやってみてる
   うちにやることが変化しはっきりしてくる、みたいなことかな。
   最初から明確なやり方なんか決まらないよ、という。




 なお、斉藤さんはACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)との親和性も書いてはる。

 そしてアメリカは保険会社が主導権を握っているマネージドケア・システムの弊害で著しく困難ではないかとのこと。



 しかしアメリカでもオープンダイアローグを研究している方はおられ、さすがマニュアルの国、マリー・オルソン教授は守られるべき基準として12項目を挙げて下さっている。

1.ミーティングには2人以上のセラピストが参加する
2.家族とネットワークメンバーが参加する
3.聞かれた質問をする
4.クライアントの発言に応える
5.今この瞬間を大切にする
6.複数の視点を引き出す
7.対話において関係性に注目する
8.問題発言や問題行動には淡々と対応しつつ、その意味には注意を払う
9.症状ではなく、クライアントの独自の言葉や物語を強調する
10.ミーティングにおいて専門家どうしの会話(リフレクティング)を用いる
11.透明性を保つ
12.不確実性への耐性



 また、「浦河べてるの家」と似ているところも指摘してはる。
 私も「三度の飯よりミーティング」とか「当事者研究」でご本人にいろいろ語ってもらうところとか似てるなあ、と思うもんな。
 また幻聴を「幻聴さん」と名付けるところとか、後で出てくる「外在化」して対処しやすくする、というのと同じなのかな。でもって、これは妖怪ウォッチでいろんな妖怪が出てくるのと同じなのかもしれない。


 あと、上記の対話例のようにトラブルの中にも「いい芽」を見つけたりはするのだけど、「困ったこと」をことさら「肯定的言い換え」をしたりはしない、というのが印象に残りました。確かに、それはご本人を「置いていく」ことになりかねないもんな。


posted by kingstone at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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