自由律俳句みたいなのを集めた本を出されてる又吉さんですが、定型を作るのは恐かったと。
めっちゃわかります。
「季語が無いじゃないか」
「あそこが悪い」
「ここが変」
とか言われるのじゃないか、みたいな恐怖。
私も、何度も勉強してみようかと思ったけど、なかなかできませんでした。
この本は読みやすかったです。
以下、メモ。
和歌→連歌→俳諧連歌(明治時代に連句と呼ばれるようになる)
575 長句
77 短句
36句重ねると歌仙
集まった人を連衆
最初の575 発句
次の77 脇句
第3句目 第3
次から 平句
最後 挙句(あげく。ここから「挙げ句の果て」という言葉ができた)
正岡子規が「発句は文学なり。連俳(連歌と俳諧)は文学にあらず」と言って俳句革新運動を始めた。
また松尾芭蕉は高野一栄という人の家で「歌仙を巻いた」時、
「五月雨をあつめて涼し最上川」
としたのだが、奥の細道に収録するときに
「五月雨をあつめて早し最上川」
として他の句は入れなかった。(子規の先駆け?)
長音・拗音・撥音
ボート 3音
カーテン 4音
きゃく 2音
しゅうう 3音
りっとう 4音
らっかせい 5音
字余り
「一匹の蟻ゐて蟻がどこにも居る」(三橋鷹女)
「神にませばまこと美わし那智の滝」(高浜虚子)
「短夜や癌患者に妻添ひ臥して」(安住敦)
字足らず(難しい)
「と言ひて鼻かむ僧の夜寒かな」(高浜虚子)
「散らばれるものをまたぎて日短」(富安風生)
句またがり
「落椿われならば急流へ落つ」(鷹羽狩行)
「木の葉ふりやまずいそぐなよいそぐなよ」(加藤楸邨)
三大切字「や」「かな」「けり」
藤田湘子が便宜上分けた切字の効果
「詠嘆」「省略」「格調」
しかし、芭蕉の弟子が書いた「去来抄」には
「四十八字皆切字なり」とある。
尾崎放哉が終焉の地小豆島で、たぶん周囲の人から質問されて読んだ句
「何がたのしみに生きてると問われて居る」
まだ売れていない頃の又吉と、全然売れていない頃の後輩パンサー向井の会話
向井「僕、すごく不安で耐えられないんですよ。
後輩も同期もテレビに出まくってるのに、
又吉さんは出てないじゃないですか。
どういう心境なんですか」
又吉「誰かが売れたから自分が世に出られへんって
ことはなくて、自分がある一定のところまで
行った時に出られればいいて、
俺は思ってるから。大丈夫やから」
(説得力が無いと自分で思いながら、
尾崎放哉を読んで自分を重ねつつ)