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 あくまでも、私個人の意見です。

2017年01月29日

映画「未来を花束にして」(原題 SUFFRAGETTE)



映画「未来を花束にして」(原題 SUFFRAGETTE)

 以下ネタバレありまくりです。

 昨年9月に作られたTogetterのまとめが気になってました。



 15:55からの回で、観客は10人くらい。

 主人公、モード・ワッツ  キャリー・マリガン

 イーディス・エリン  ヘレナ・ボナム=カーター

 薬剤師で爆弾を作る。

 この人、「日本公開時修正された映像が今は無修正で見ることができる」というので見に行ったら男がちんちんぶらぶらさせて走り回っててがっくりした「眺めのいい部屋」の人だ。

 そして戦闘的な選挙権獲得運動の中心人物で女性社会政治同盟( Women’s Social and Political Union (WSPU) )を作ったエメリン・パンクハーストにメリル・ストリープ

 SUFFRAGETTEとというのは、周囲の人が女性参政権獲得運動をしている人を馬鹿にして呼んだ言葉だそうです。馬鹿にして呼ばれていた言葉が、肯定的(?)な意味も持つようになることって結構あるかな。

 オタクって言葉もある程度そうかもしれない。


 1912年から1913年の間のことが描かれています。

 当時、エメリン・パンクハーストは警察に追われていて、集会で演説中に警察がやってきて(もちろん想定内)替え玉を使って逃げるシーンもありました。

 この団体、1912年から1913年にかけて、最初はデパートみたいなところのショーウィンドウを石で破壊する。

 次にポストに爆弾を入れて破壊する。

 いずれも自分たちの主張をマスコミに取り上げてもらって広げていこうということなんだけど、ほぼ無視され、ついにロイド・ジョージ首相の完成間際の別荘を爆破・炎上させるけどベタ記事。

 まあ「そんな活動無いよ」「馬鹿馬鹿しい主張」ということで、報道規制というか情報操作されてたんだろうな。

 一応、「人を傷つけない」という一線は引いていたみたいだけど。
 しかし、当時のイギリス女性は、親権も無いし、男に殴られ放題で従属さされていただろうことは、映画にも出てきたけど、今の時代のことを考えても想像にかたくないよな。

 ロイド・ジョージ宅爆破・炎上事件のあと、主人公は監獄に入れられ、そこでハンガー・ストライキをします。5日目に強制的に鼻からチューブをつっこまれミルクをお腹に入れられるシーンが出てきます。

 英国の女性参政権について日本のWikipediaには記述がなく、参考にしろ、というところをクリックすると英語版のWikipediaに飛ばされました。Chromeについてる翻訳機能でざっと見て見ましたが。

 で、映画の時期のものは下記の通りですが、その強制的に鼻腔栄養さされるのを禁止した法律が「ネコとネズミ法(Cat and Mouse Act)」ですね。

 で、もうこれは国王(ジョージ5世 在位1910年 – 1936年)に直訴するしかない、とダービー会場に行き、しかし直訴はできず、エミリー・デイビソンは疾駆してくる馬の前に立ちふさがり死亡・・・

 さすがにこれは全世界に報道されたそう。

で、英国ではその後

1918 30歳以上の女性に制限選挙権
1925 母親の親権が法律で認められた
1928 男女平等による普通選挙が実現

で、最後に各国の女性参政権が獲得された年が出てくるのですが、その中に日本は無し。
これは敗戦で棚ぼた式に与えられたものだからだろうか?

沖縄では1945年の収容所内で行われた市会議員選挙から実施されたそう。
本土では1945年に法律ができ、1946年から実施されたそうです。



October 1912: George Lansbury, Labour MP, resigned his seat in support of women's suffrage
February 1913: David Lloyd George's house burned down by WSPU[37] (despite his support for women's suffrage).
April 1913: Cat and Mouse Act passed, allowing hunger-striking prisoners to be released when their health was threatened and then re-arrested when they had recovered
4 June 1913: Emily Davison walked in front of, and was subsequently trampled and killed by, the King’s Horse at the Epsom Derby.

1912年10月:ジョージ・ランズベリー、労働MPは、
       女性の参政権をサポートするために
       彼の席を辞任しました
1913年2月:デビッド・ロイド・ジョージの家はによって
       焼失WSPU [37] (婦人参政権のための
       彼のサポートにもかかわらず)。
1913年4月:ネコとネズミ法は、彼らが回復したときに
       飢え打囚人が自分の健康が脅かされたときに
       解放され、その後再逮捕されることを可能に
       する、渡されました
1913年6月4日:エミリー・デイヴィソンが目の前に歩いて、
       そしてその後に王の馬で踏みつけと殺された
       エプソムダービー。

ラベル:映画
posted by kingstone at 20:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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