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 あくまでも、私個人の意見です。

2016年11月03日

映画「聲の形」


原作 大今良時

 見て来ました。

 16:25からの回だとお客さん30人くらいかな。
 15時くらいにチケットを買ったのですが、15時台の上映の欄には△マークがついてましたから、まだ結構入ってたんじゃないかな。

 もともと私のTwitterのTLで障害にいろいろな形で関わる人の間では評判の高いコミックでしたが、私は未読で、ほとんど知識のない状態で見に行きました。

 中にはいろいろなテーマというか、話題になる部分があるわけですが・・・

 私としては、一番ぐっと来たシーンは、

 友達もいなくて、確かにかなり変わったぽっちゃりさんの永束君が主人公の石田君におどけながら言った

「友達になるのに資格なんてそんなもんいらないさ」

かな。ほんと友達って何だろう。


 このまとめの最後のところで、箭内さんが、「小2の時、友達を書かされる授業があって、それ以来「友達」というのが怖くて言えなくなった。どこからが友達かわからなくなったし。でもやっと言えるようになった。」という発言をされたのを記録しています。確か子ども達の誰が仲良くて、誰が仲悪いかを知る資料にすることがあるんだよね。なんとかグラムって言ったかな。あれあんまりいいことないと思う・・・

 友達ってできなくったっていいんだよね。
 例えば西宮硝子には、小学校6年生の時は友達といえるのは佐原さんしかいなかったろう。
 他の誰も友達ではなかったと思う。

 しかし、映画での最後のシーンでは友達といっていい人たちが現れていると思う。
 例えかつて「いじめ」をされていた相手でも。

 人は変わる。

 あと、ほんと、小学校時代のいじめとか、いじめてる方はまったく忘れてしまうんだよね・・・いじめられた方はよく覚えてたりするけど。

 そういう意味ではこの映画を見て「昔の傷がうずきだす」とか「フラッシュバックする」とかいう方もいらっしゃるかもしれない。

 なお、いじめっ子がいじめられっ子になる、という例は私も目の当たりにしたことがある。当時の私にはなす術も無かったけれど。

 「自分を好きになる」これも大切なことやな。
 で、そのためにはやっぱり他人の存在は必要になってくるとは思う。


 それから何があったのかは知らないけれど、石田は最初死のうとしてたらしいシーンから始まるわけですが・・・で、何があったかは知らないけれど、彼には高校の友達が彼の悪い噂をしているように思えるし、周囲の人の顔を見ることができない・・・

 そして石田君が助けた永束君が、石田君のパクられた自転車を見つけ出してくれた(石田君がとても嬉しいと思うようなことをしてくれた)時、コミュニケーションができた時、最初に顔(表情)を認識できます。

 このあたり、私はやっぱりいろんなことが頭に浮かびます。

 その中にはこんなこともあります。


 私は、今の職場でも、そんなに関わっていないのに、子ども達が一番に顔と名前を覚えてくれることが多いです。それが何故なのか、実はわかってるんだけどね・・・ただみなさんにお伝えし、できるようになってもらうのはなかなか時間がかかるだろうな。


ラベル:映画
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