※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2016年07月27日

7月27日(水曜日) 大欲は無欲に似たり(徒然草)



 おはようございます。

 天気予報は曇時々晴 。
 予想最高気温は31℃。
 これが35℃とかにならないからまだましか・・・



・ 第二百十七段

 ある大福長者の曰く、「人は萬をさしおきて、一向(ひたぶる)に徳をつくべきなり。貧しくては生けるかひなし。富めるのみを人とす。徳をつかむと思はば、すべからくまづその心づかひを修行すべし。その心といふは、他の事にあらず。人間常住の思ひに住して、假にも無常を觀ずる事なかれ。これ第一の用心なり。
 次に、萬事の用をかなふべからず。人の世にある、自他につけて所願無量なり。欲に從ひて志を遂げむと思はば、百萬の錢ありといふとも、しばらくも住すべからず。所願は止むときなし。財は盡くる期(ご)あり。かぎりある財をもちて、かぎりなき願ひに從ふこと、得べからず。所願心に兆すことあらば、われを亡すべき惡念きたれりと、かたく愼みおそれて、小用をもなすべからず。
 次に、錢を奴の如くしてつかひ用ゐるものと知らば、長く貧苦を免るべからず。君の如く神のごとくおそれ尊みて、從へ用ゐることなかれ。
 次に、恥にのぞむといふとも、怒り怨むる事なかれ。
 次に、正直にして、約をかたくすべし。この義を守りて利をもとめむ人は、富の來ること、火の乾けるに就き、水の下れるに從ふが如くなるべし。錢つもりて盡きざるときは、宴飮聲色を事とせず、居所をかざらず、所願を成ぜざれども、心とこしなへに安く樂し」と申しき。

 そもそも人は、所願を成ぜむがために財をもとむ。錢を財とする事は、願ひをかなふるが故なり。所願あれどもかなへず、錢あれども用ゐざらんは、全く貧者とおなじ。何をか樂しびとせん。このおきては、たゞ人間の望みを絶ちて、貧を憂ふべからずと聞えたり。

 欲をなして樂しびとせんよりは、しかじ、財なからむには。癰・疽(よう・そ)を病む者、水に洗ひて樂しびとせむよりは、病まざらむには如かじ。こゝに至りては、貧富分くところなし。究竟(くきゃう)は理即にひとし。大欲は無欲に似たり。


 この大福長者って言っても、「商売人」ではなく、「地頭」とかなんだろうか?
 鎌倉時代だと商売人として長者になるような人、いただろうか?

お金とのつきあい方

1.お金を奴隷(こちらの思い通りに動かせる物、
 みたいな感じ?)のように使うと貯まらない
2.お金を君主のように神様のように、畏れ尊んで
 使いなさい。(こちらの思い通りにはならない
 物、みたいな感じ?)

これは今、でもこういうのがいいのかも。




posted by kingstone at 04:55| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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