おはようございます。
天気予報は晴れ。
予想最高気温は28℃。
昨日より1℃高いな。
・ 第百五十七段
筆をとれば物書かれ、樂器(がくき)をとれば音(ね)をたてんと思ふ。杯をとれば酒を思ひ、賽をとれば攤(だ)うたむ事を思ふ。心は必ず事に觸れて來(きた)る。仮りにも不善のたはぶれをなすべからず。
あからさまに聖教の一句を見れば、何となく前後の文(ふみ)も見ゆ。卒爾にして多年の非を改むる事もあり。假に今この文をひろげざらましかば、この事を知らんや。これすなはち觸るゝ所の益なり。心更に起らずとも、佛前にありて數珠を取り、經を取らば、怠るうちにも、善業おのづから修せられ、散亂の心ながらも繩床(じょうしゃう)に坐せば、おぼえずして禪定なるべし。
事・理もとより二つならず、外相(げさう)若し背かざれば、内證かならず熟す。強ひて不信といふべからず。仰(あふ)ぎてこれを尊(たふと)むべし。
これ、手を使うことの大事さ、それと「具体物があるとそれを使ってする活動が出てきやすい」ということでもあるな。自閉症スペクトラムの人に、「次にこの活動をするよ」を伝える時、絵カードや文字カードより、その時に使う具体物のほうがより伝わりやすいもんな。
「事・理もとより二つならず」
現象も、理論も2つの別物ではない。
そりゃそうだ。
そして大事なことやな。