おはようございます。
天気予報は晴れ。
予想最高気温は20℃。
まあ過ごしやすいかな?
・ 第百二十六段
「博奕(ばくち)の負け極まりて、殘りなくうち入れむとせむに逢ひては、打つべからず。立ち歸り、続けて勝つべき時の至れると知るべし。その時を知るを、よき博奕といふなり」と、あるもの申しき。
によると、「立ち歸り、続けて勝つべき時の至れると知るべし」には2つの解釈があると。
・負けの込んだ相手が、負けてばかりいるという確率もこれ以上は続かず、今度は転じて勝ち続ける確率がやってくるのだと知るべきだ。だから止めておけ
・負けが込んできたら、冷静に、やめて家に立ち帰り、こう負けてばかりいる確率も珍しく、何時かは勝ちに転じる日が来るから、その時を知る、そういうばくち打ちを良い博打打と言うのだ
私は後者だと思うのだけど、前者の解釈の方が多いって。つまり負け続けて、あり金かけて最後の勝負をしようとしている相手と戦うな、という意味だと。
で、私は、「ばくちをしている本人に、残りのあり金かけるようなことはせず、やめて家に帰り。また勝つ時もあるから」という意味だと思うのね。
しかし、この頃の博打って何だったんだろう?
平安時代だったら「すごろく(今のバックギャモン)」だそうだけど。