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2016年04月10日

ワイマル共和国 林健太郎著 第10章(経済恐慌の襲来)



ワイマル共和国 林健太郎著 第10章(経済恐慌の襲来)

再掲
     完全失業
戦前(1913?) 28%
1925 ほとんど失業者なくなる
    その後、産業合理化で失業者増大
1927以後 減少
1928    5% (65万人)週48時間労働が80%

      失業者数と労働者65万人が全体の5%と計算すると
1929冬 (200万人越え)15%
1930年 (350万人)  27%
失業者数が増え、失業保険の支払いで国家財政の危機に

1928.5 総選挙。国民生活の安定により、
     社民党   153(躍進)
     国家人民党 73(マイナス。2/3に)
     ナチス   12(マイナス)
    国民生活が安定していれば極右政党から票は離れる。


1929.6 ヤング案(賠償のドーズ案以後)シュトレーゼマンがまとめた。
     以後37年間年平均20億マルク
     その後22年間よりわずかの金額を支払う
     多くの留保条件がつけられていたので、
     絶対支払額は年6億マルク
     また賠償を「政治的なもの」から「商業的なもの」へ
     (!?37年ローンとか気が遠くなるよね
      でもって、22年を足すとほぼ60年!!!)

     ある意味ドイツにとって「大成功」であったが、
     右翼は反対闘争をした。
     フーゲンベルク、ゼルテ、ヒトラーが手を組んだ。

再掲ドーズ案
1924.4 ドーズ案 ドイツに8億マルクの借款を与えてドイツ経済の復興を図る
          初年度10億マルク支払い
          1928-9年度までに25億マルク
          6年目以降は実情に応じて

(つまり年25億マルク支払ってきたのを6億マルクまでねぎった、ということやな。しかし全部合わせて60年も払わせ続けるって・・・そら嫌になるなあ・・・)

1929.10 シュトレーゼマン死す
      増大する失業保険の財源として
      労使双方が賃金の3%拠出をしていたのを
      3.5%にする法案成立。
     (この特に資本家から強い反対を受けた法案を
      通すための難しい根回しがシュトレーゼマンの
      最後の仕事となった)

1929.10.24 10:25 ウォール街「暗黒の木曜日」

1929.12 ヒトラーたちがヤング案反対の人民要求・人民投票をしたが、
      580万票で敗退した。
     (共産・社民の君主財産没収案はやはり敗退だったが、
      1500万票を獲得している)

1929.12.25 蔵相ヒルファーディング辞職
       シャハト(ライヒスバンク総裁)の批判によって

林氏のシャハト評
「彼は直感的な把握力と実行力に富んでおり、たしかにすぐれた財政家であることにはまちがいはなかった。しかし彼には一貫した思想はなく、また致命的なことに、何の理想もなかった。そこにあるのはただ個人的な野心と巧みな処世術だけであって、彼はこのとき、老齢のヒンデンブルクのつぎの大統領をねらっていたのである。その彼の野望は満たされなかったが、やがて彼は、彼が援助したヒトラーのもとでライヒスバンク総裁と経済相を兼任し、ついでヒトラーと離れて反対派の陣営に入り、ニュルンベルク裁判で無罪の宣告を受けた」

(この本の中で、林さんの人物評って、結構クソミソな感じで書いてること多い・・・)

1930.1 ヤング案の列国の承認

      この後、失業保険問題が再燃。
1930.3.27 拠出金3.75%案が社民党内で反対されミューラー内閣倒壊。

1930.3.28 ブリューニング内閣
      国防軍シュライヒャーの暗躍


もずらいとさんからのコメントがつきました。

> シャハトが大統領を狙っていた?
>彼は自分の力を存分にイカしてくれる人
>の下で自由にやりたかっただけです。

 そうなんですか・・・

> 世界恐慌に当時のドイツは全く対応できませんでした。
>今では生家の強制収容も取りざたされているヒトラー
>ですが、元々芸術化志向(「たくさん働いたら人間は
>豊かになれない」的な)だったので、ヒトラー政権では
>労働時間の制限や長期休暇の実施と低廉での外国旅行、
>アウトバーンの労働者宿舎も劇的に向上したので
>「我らが総統」になったのです。

 確かにそうみたいですね。
 大衆に人気が無ければ強い力は持てないと思います。
 また多くの人たちは様々なことを
「ヒトラーにやらされた」わけではなく、
「生きがいがあるからやった」のだと思うのですね。
 しかし、一部の者はもうとんでもないことをされた。
 そのあたりの経緯を知りたくて、今、ワイマール共和国のことを勉強しています。

posted by kingstone at 11:43| Comment(1) | TrackBack(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 シャハトが大統領を狙っていた?彼は自分の力を存分にイカしてくれる人の下で自由にやりたかっただけです。

 世界恐慌に当時のドイツは全く対応できませんでした。今では生家の強制収容も取りざたされているヒトラーですが、元々芸術化志向(「たくさん働いたら人間は豊かになれない」的な)だったので、ヒトラー政権では労働時間の制限や長期休暇の実施と低廉での外国旅行、アウトバーンの労働者宿舎も劇的に向上したので「我らが総統」になったのです。
Posted by もずらいと at 2016年04月10日 19:36
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