ワイマル共和国 林健太郎著 第9章(経済復興と社会主義)
1924年から1928年のドイツの経済の繁栄は驚異的。
所得の分配は戦前に比べてはるかに平均化。
高額所得者の数は戦前の半分。
完全失業
戦前(1913?) 28%
1925 ほとんど失業者なくなる
その後、産業合理化で失業者増大
1927以後 減少
1928 5% (65万人)週48時間労働が80%
(やっぱり景気が良くなると労働条件も良くなるんだな・・・ちなみにそれ以前はいくら政府や組合(労働協約)が決めても達成できなかったのに)
社会民主党は「社会化(いわゆる国有化)」に熱心ではなかったと批判されることがあるが、国有化されたところはたいてい失敗しているのでその批判はあたらないのではないか。
(私もそう思う)
社会民主党は「階級闘争」は早くから考えておらず「全国民」を考えていたのに、そこを強く主張できていなかった。
(なんか知識人の間で、「やっぱり階級闘争やんなきゃ」みたいな固定観念の縛りがあったのかな)
しかし1918年の革命によって地位を追われた多くの君主(つまりは地域ごとの領主。日本で言えば藩主みたいなもん?彼らはもともとの財産は手放さずに持っていた)がヒンデンブルクの大統領就任(1925年5月)で勇気づけられ国有財産に対する所有権を主張し始めた。それに対抗して共産党は、君主の私有財産全てを没収する法案を提出。否決されたが人民投票にかけ、そのさい、社民党にも共闘を呼び掛けた。社民党指導部は反対だったが、下部大衆のつきあげで共闘してしまった。
1926年6月 人民投票。共闘しても過半数には届かなかった。1500万票。共産党にとっては大勝利。社民党にとっては力の無さを見透かされる結果に。
(民社党[民進党]が労働組合につきあげられたらその通り動いてしまう、みたいなもんか)
1928年度予算。軍艦建造問題。社民党はポケット戦艦建造に反対した。これは人気が落ちる原因となった。
1928.5 総選挙。国民生活の安定により、
社民党 153(躍進)
国家人民党 73(マイナス。2/3に)
ナチス 12(マイナス)
国民生活が安定していれば極右政党から票は離れる。
この頃はアメリカ資本が流入して景気が良くなった。
しかしそれが産業復興には使われず、公共施設(立派な役所)建設にあてられ、公務員給与も上がった。しかし輸出がのびず、国際収支は赤字が続いた。そして大恐慌・・・
失業者数
1929冬 (200万人越え)
1930年 (350万人)
失業者数が増え、失業保険の支払いで国家財政の危機に