※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2016年03月22日

3月22日(火曜日) 暇ある身になりて、世のこと心にかけぬ(徒然草)



 おはようございます。

 天気予報は晴れ。
 予想最高気温は15℃。
 まあまあ暖かいかな。




・ 第九十八段

 尊き聖のい云ひ置きけることを書き付けて、一言芳談(いちごんほうだん)とかや名づけたる草紙を見侍りしに、心に會(あ)ひて覺えし事ども。 

一 爲(し)やせまし、爲(せ)ずやあらましと思ふことは、おほやうは、爲ぬはよきなり。
一 後世を思はんものは、糂汰瓶(じんだがめ)一つも持つまじきことなり。持經(ぢきゃう)・本尊(ほぞん)にいたるまで、よき物を持つ、よしなきことなり。
一 遁世者は、なきに事かけぬやうをはからひて過ぐる、最上のやうにてあるなり。
一 上臈は下臈になり、智者は愚者になり、徳人は貧になり、能ある人は無能になるべきなり。
一 佛道を願ふといふは、別のこと無し、暇ある身になりて、世のこと心にかけぬを、第一の道とす。

この外も、ありし事ども、覺えず。


 えらいお坊さんの言葉を集めた本を見て、心に残ったこと。

○やるかやらないか迷ったことは、たいていはやらないほうがいい。
○死後のしあわせを願うならミソ瓶も持たないこと。お経・本尊(仏像)に至るまで、いい物をもつ理由はない。
○遁世者は、何もないことを計画して過ごすのがいちばんいい。
○高僧は下僧になり、知者は愚者となり、金持ちは貧乏人になり、できる人はできない人になるべきである。
○仏の道を願うということは、暇になって、世間のことを気にかけないようになるのが、第一の道である。


・何もない(起らない)ことを計画する。
・暇になって、世間のことを気にかけないようになる。

なんか、どちらも納得。
posted by kingstone at 03:57| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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