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 あくまでも、私個人の意見です。

2016年02月03日

仁義なきキリスト教史 架神恭介著




 ずーーと前から気になってた本ですが、今日、三宮に出たのでジュンク堂で買って来ました。
 宗教関係の棚って動きはどうなんだろうと思うけれど、見る度に置いてある場所が変わってました。
 いろいろ書架の整理、してはんねんなあ。
 最初に見つけた時は、私の胸のあたりの高さにあったのですが、だんだん上の方になってて、今日はちょっと書架を登って(やっていいのか・・・)取り出しました。

 ヤクザの抗争に見立てて、話言葉は広島弁で書かれています。
 でも・・・実際十字軍とか、もろヤクザ抗争そのままやわな・・・

 知ったこと。

 イエスのいた当時、エルサレムのユダヤ教には、サドカイ派、パリサイ派、エッセネ派などがあり、サドカイ派が最有力だった。(後世に広がっているのはパリサイ派)

 イエス死後、ペテロたちが教会(集団)を作ったわけだけど、ヘブライ派(アムル語が母語で書き言葉としてはヘブライ語。土着派?)とヘレニスト派(ギリシャ語が母語。書き言葉としてはラテン語になるのかな?国際派)との確執が起きた。

 最初は

「おやっさん・・・おやっさん・・・なんでワシを見捨てたんじゃあ!」

というセリフから始まります。

 最初の2章でイエスの死までいっちゃうんですけど、「罪なき物、まず石を投げよ」のエピソードが無いのは残念。

ユダヤ教の過越祭(すぎこしのまつり)の由来を初めて知りました。

ユダヤ人がエジプトで迫害されていた頃、Wikipediaから引用すれば神エホバ(ヤーフェ)がモーゼに

「エジプトに対して十の災いを臨ませる。その十番目の災いは、人間から家畜に至るまで、エジプトの「すべての初子を撃つ」というものであった。神は、戸口に印のない家にその災いを臨ませる」

で、本当に殺していったわけ。そして「うちはユダヤ人です」という印(血で赤く塗る)をつけていた家は殺人者は「過ぎ越し」て行ってくれたので良かったね、という・・・・
こわーー

なお、最後の晩餐でイエスが
パンを「これは私の体」
ぶどう酒を「これは私の血」
と言って配ったことが、ローマで
「あいつら(キリスト教徒)は教会で人肉を食ってやがる」
という噂になって攻撃される、ということになった。

また信徒同士で「兄弟・姉妹」と呼びあうから
「あいつら近親相姦しまくってる」
という噂になって攻撃される、という・・・

それからイエスの死後、初期教会(?)ができたわけですが、その特徴は
   ・入る時に財産を拠出する
   ・未亡人には生活扶助が出る
という相互扶助制度のあるところだったと。

なるほど。イスラム教もそうだし、大きく広がる宗教(教団)って基本的に「相互扶助」があるのかも。仏教はどうだろう?

割礼など、一部のユダヤ教の習俗を「しなくていい」と言いだしたのはパウロで、初期教会の人たちは(もともとユダヤ教の人たちだし)怒ったけれど、それが世界的な広がりの原因になったと。(そりゃ教義に魅力を感じても、「入るなら皮を切れ」と言われたら躊躇するよな)

11世紀頃まで司祭でも妻を持つのは当たり前であったみたい。

グレゴリウス7世
   「カノッサの屈辱」の時の教皇。
シモニア
   聖職者の地位を買うこと
ニコライスム
   聖職者の妻帯。
   これは例えば教会財産を自分の子に相続させることにつながる。
俗人叙任
   世俗権力者が聖職者を任命する
    司祭・・・村レベル
    司教・・・都市レベル
    の封建領主と同じような力を持つ
   そもそも十分の一税により、お金が入ってくる
   仕組みができあがっていたので、収益をあげる
   財産としてみられていた
   「カノッサの屈辱」も聖職者に自分の都合のいい
   者を選ぼう(叙任しよう)とするハインリヒ4世と、
   それをさせまいとするグレゴリウス7世との戦い。
   (叙任権闘争)

1122年 ウォルムス協約(ヴォルムス協約)

第4回十字軍

Wikipediaによると

「ローマ教皇インノケンティウス3世の呼びかけにより実施。エルサレムではなくイスラムの本拠地エジプト攻略を目ざす。しかし渡航費にも事欠くありさまで、十字軍の輸送を請け負ったヴェネツィアの意向を受けて輸送料の不足分支払のためハンガリーのザラ(現クロアチアのザダル)を攻略、同じキリスト教(カトリック)国を攻撃したことで教皇から破門される。ついで東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを征服、この際十字軍側によるコンスタンティノポリス市民の虐殺や掠奪が行われた。」

 なお、ザラはカトリック(キリスト教)国だし、当時のコンスタンティノポリスはギリシア正教会(キリスト教)国ということで・・・この人たち、無茶苦茶や・・・

 で、騎士たちは自分の武具・食料・渡航費も自腹で、渡航を請け負ったヴェネツィアがもくろんだ人数より集まって来た騎士が少ないから、お金(渡航費)が足りなくなり(人数が少ないと一人あたりの渡航費が上がり、しかしそんなもの払えるわけがない)、渡航費がなくなり・・・とか全部、金、金、金・・・・

 まあ、そういうことやろな・・・

ルターの宗教改革

免罪符は免償符と言ったほうが良いというのが著者の意見。
なるほど、罪は免ぜられるわけじゃなく、罪は償うんだけどその償いをしなくていい、というお札なわけね。
構図としては

罪→告解で解決。しかし償いは必要

償い
   ・祈り
   ・巡礼
   ・隣人への奉仕
   ・十字軍への参加
   ・献金(免償符を買うことも含む)

お金を入れる箱が作ってあって、そこにお金を入れる音がチャリンとすればいいという・・・まるっきりお賽銭と同じなわけで、著者も免償符自体はそう悪いものでもないのでは、という意見を書いてはる。

まあでもルターは、聖書やヤーフェへの信仰へ立ち返れ、と言いたいわけで・・・

でもカトリック教会にはマリア像とかがあったりするけど、プロテスタントの教会にはいっさい無い(偶像崇拝の禁止ってことだと思う)。実はルターは当時あったマリア像とかを認めないというのはなかったみたいなのだけど、一緒に活動していた若いもん、カールシュタットが学生などとともに壊してまわったとのこと。この時はルターがのりだして、カールシュタットを追放した。

なお著者によるとルターの考え方は
「Aさんの信仰が立派だから、神がAさんを認めてくれる」
ではなく
「神が勝手にAさんを義とするので、そんな神をAさんは信頼する」
なのだそう。

このあたり、親鸞上人の言ってはることに近そう。

1545年 カトリック最大の自浄努力。「トリエント公会議」




posted by kingstone at 21:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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