※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2016年01月30日

1月30日(土曜日) 鼻ひたる時、かく呪はねば死ぬるなり(徒然草)



 おはようございます。

 外は地面が濡れてたし、天気予報は曇りですね。
 予想最高気温は11℃。


原文『徒然草』全巻より


・ 第四十七段

 ある人清水へ参りけるに、老いたる尼の行きつれたりけるが、道すがら、「嚔(くさめ)嚔」といひもて行きければ、「尼御前(あまごぜ)何事をかくは宣(のたま)ふぞ」と問ひけれども、答へもせず、猶(なお)言ひ止まざりけるを、度々問はれて、うち腹だちて、「やゝ、鼻ひたる(くしゃみをする)時、かく呪(まじな)はねば死ぬるなりと申せば、養ひ君の、比叡の山に兒にておはしますが、たゞ今もや鼻ひ給はむと思へば、かく申すぞかし」といひけり。

 有り難き志なりけんかし。



 う〜〜ん、わからん。
 別に、自分でくしゃみをするわけじゃない尼さんが「くしゃみ、くしゃみ」と歩きながら言ってると。で、「なんで」といっぱい聞かれるので腹立てつつ「くしゃみをする時、こう言わないと死ぬと言われてる。(尼さんの)養子が比叡山にいるけど、今、くしゃみをするのじゃ、と思うと(私が代わりに)くしゃみ、と言ってるのだ」

 ということ??

 それ、ありがたい??
 いや、「くしゃみの時、くしゃみと言わないと死ぬ」を信じている、ということなら「ありがたい」となるわけか。

posted by kingstone at 05:48| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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