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2016年01月13日

1月13日(水曜日) 人の亡き跡ばかり悲しきはなし(徒然草)


 おはようございます。

 天気予報は曇り時々晴れ。
 予想最高気温10℃。
 昨日は北海道の陸別でー23.9℃とかになったそうで。
 でもうちらのあたりは強い寒気が降りてきた、って感じじゃないな・・・

・ 第三十段

 人の亡き跡ばかり悲しきはなし。

 中陰(ちゅういん)の程、山里などに移ろひて、便りあしく狹き所にあまたあひ居て、後のわざども營みあへる、心あわたゞし。日數(ひかず)の早く過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。はての日は、いと情なう、互にいふ事もなく、我かしこげに物ひきしたため、ちりち゛りに行きあかれぬ。もとの住家にかへりてぞ、さらに悲しきことは多かるべき。「しかじかの事は、あなかしこ、跡のため忌むなる事ぞ」などいへるこそ、かばかりの中に何かはと、人の心はなほうたて覺ゆれ。

 年月經ても、露(つゆ)忘るゝにはあらねど、去るものは日々に疎しといへる事なれば、(後略)



 ここに「冊ものは日々に疎し」が出てきたけれど、「といへる」とあるから出典が別にあるんだろうな、と思ったら故事ことわざ辞典の「去る者は日々に疎し」の項目に出典として「文選」とあった。


「文選(もんぜん)」が成立したのは中国南北朝(六朝時代)時代の梁の昭明太子(しょうめいたいし 501-531)によってだって。古事記ができたのが712年だからその200年前。日本が古墳時代の頃か。

 で、科挙の詩文の模範とされたし、日本でもよく読まれてたんだろうな。

 人が亡くなれば、みな日々の日常生活の中で、その忙しさの中で、忘れていく。それは生きている者にとって必要なことなんだろうな。


posted by kingstone at 07:14| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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