「調べる」論 木村俊介著
「罪深い取材をするからには、まっとうなものを書きたい」
栗原俊雄
毎日新聞記者。
プレジデントの「20世紀遺跡 帝国の記憶を歩く』栗原俊雄」という記事にリンクを貼りました。
この記事に紹介されている中で、特にシベリア抑留の話を中心に書かれています。
当時大谷大学教授の廣瀬杲に親鸞についての資料発見のことを質問しに行き、一段落して「シベリア抑留の経験をされたんですね」と言うと、今までの丁寧な説明から一転し、口が重くなり「話してもわかってもらえないでしょうから」と言われ、もうこれ以上聞いてくれるな、という態度になられた、と。
で、それからシベリア抑留のことを話してもらうのに半年かかったそうです。
ねばり強いですね・・・
シベリア抑留体験者には広島や長崎や沖縄にはある「祈りの場」もないんです。
これは、現場が外国だから、ということ?
北なんだから、シベリアを臨む稚内とかに作るという手はありそうだけど・・・
それとも各自の「思い出したくない」という思いが強過ぎて、集まって相談して「作ろうよ」という気分にはとてもならない、ということが大きいのかな。
原爆の後遺症のようには、今もシベリア抑留体験者の中で後遺症を引きずっている人たちの話は出てきません。
これは後ろの方にある、
本人にも整理のつかない過去を聞く時は、何に気をつけているか? 体験のすべては聞き出せていないと思うんです。抑留者どうしで他人を吊るしあげてしまう体験、これについては吊るしあげられた体験はよく出るんです。ただ、自分が誰それを吊るしあげたという話はまず出ない。そういうことです。本には一人だけその話をしてくださった方の言葉を載せていますが、ぼくが取材した方々には、吊るしあげる側の人はもっといたのだろうと推測しています。でも、それはたぶん言わなかったのだろうなと感じているんですよね。
あるいは兵隊から盗みを働いた人間、そういう加害者側の話を聞き出せたのは圧倒的に少ないです。そうした限界は感じていますね。
とかいうことに関わって来るんだろうな。
で、記事や本にする時は「裏を取る」こともやってはります。
確かに、私も過去の話は「盛る」ことにはなりがちだ。
そういう時に、記録(過去に書いたエントリも)があれば、やはり修正する力になるな、というのはよく感じます。