私の関わりのある法人
ksbutton.png omemebuttan.png sowerbuttan.png
※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2015年11月30日

11月30日(月曜日) 畿内の範囲(「播磨国風土記」より)



 おはようございます。

 天気予報は晴れ後曇り。
 最高気温は15℃。
 ってことは少しは暖かいのかな?


「古代からのメッセージ 播磨国風土記」の
「遠い異境への往還 直木孝次郎」より

 但馬(日本海側)から丹波(兵庫県と京都府の県境で山地のど真ん中)を抜けるのはいくつもの峠を越えないといけないので大変。それよりも円山川を遡り、加古川を下る方が楽。このあたり本州で一番低い分水嶺と言われてるし。特に冬場は一気に瀬戸内海側に抜けた方が歩きやすい。

日本書紀 崇神十年の条

四道将軍派遣


九月(ながづき)の丙戌(ひのえいぬ)の朔甲午(きのえうまのひ)に、大彦命(おおひこのみこと)を以て北陸(くぬがのみち)に遣わす。武渟川別(たけぬなかはわけ)をもて東海(うみつみち)に遣わす。吉備津彦(きびつひこ)をもて西道(にしのみち)に遣わす。丹波道主命(たにはのちぬしのみこと)をもて丹波(たには)に遣わす。

 北陸道あたり・東海道あたり・山陽道あたりに遣わしてるけど、山陰道ではなく丹波で止まっている。それより先が無い。

日本書紀 大化二年(646)正月の条

畿内四至


凡そ畿内は、東は名墾(なはり)の横河(よかわ)より以来、南は紀伊の兄山(せのやま)より以来、西は赤石の櫛淵より以来、北は近江の合坂山(あふさかやま)より以来を、畿内国と為す。

東は伊賀との境より西
南は紀州との境より北
西は神戸市須磨区一の谷あたりより東(へえ、赤石といってもそのあたりまで含まれるんや)
北は逢坂山より南

これが「畿内」の範囲だと。

まだ
「畿内国は山背(山城)、大和、摂津、河内の四国である」
という言い方は出てきていない。

いずれにしても「山陰道」はなかなか現れてこず、往来が大変だった様子がうかがえる。
だからこそ出雲に独自のものが多く残ったのではないか、ということ。
posted by kingstone at 07:16| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック