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2015年11月29日

11月29日(日曜日) 屯倉の道(「播磨国風土記」より)



 おはようございます。
 快晴です。


「古代からのメッセージ 播磨国風土記」の
「遠い異境への往還 直木孝次郎」より

屯倉(みやけ) 他に書き方として「三宅」「御宅」がある。
        「御宅」が正式だったけど、画数が多い(当時は
        木簡とか竹簡に彫ってたろうしね。画数って
        めちゃめちゃ大きな要素になったろうと思う) 
        ので三宅と書いていたが、それだと漢文にした
        時にかっこ悪いんだって。

で、屯倉というのは、天皇あるいは朝廷の直轄領。
もともとは国造など地方豪族に管理させ税だけを徴収していた(それも豪族に頼んでたんだろうな)が、直接に役人を派遣するようになった。
税の徴収以外に、豪族に目を光らせる全国支配の尖兵となった。

屯倉名    所在地      出典  伝承上の設置年代
益気屯倉 旧印南郡、現加古川市 風土記  景行朝
牛鹿屯倉 旧飾磨郡、現姫路市  日本書記 安閑朝
飾磨屯倉 旧飾磨郡、現姫路市  風土記  仁徳朝
枚方屯倉 旧飾磨郡、現姫路市  風土記  仁徳朝
越部屯倉 揖保郡新宮町 日本書紀・風土記 安閑朝
中川屯倉 佐用郡三日月町    風土記  不明
川辺屯倉 神崎郡市川町     風土記  不明
縮見屯倉 旧美嚢郡、現三木市志染 日本書紀・風土記 清寧朝以前

益家(やけ)の屯倉は現在の加古川市にあったと思われる。

屯倉の道 三木市の縮見、市川町の川辺、新宮町の越部、三日月町の中川を結ぶ道
     縮見から東は六甲山系の北側を通り、
     鈴蘭台→有馬→蓬莱峡→宝塚→昆屋寺(伊丹)→難波
     というルートだたのではないか。
     鹿庭の鉄、それより西の美作の鉄など、
     鉄を送る重要なルートだったのではないか。
     






posted by kingstone at 08:27| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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