私の関わりのある法人
ksbutton.png omemebuttan.png sowerbuttan.png
※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2015年11月20日

11月20日(金曜日) 「郡稲帳」に見る食事量(「播磨国風土記」より)



 おはようございます。
 ・・・って時刻じゃないか・・・




「古代からのメッセージ 播磨国風土記」の
「遠い異境への往還 直木孝次郎」より

 昨日の、播磨国を3日で通過する、ということが書かれた郡稲帳に、どれだけの量の食料(ってか米を支給したか)というのが出ています。

正六位上 田中朝臣三上という人が太宰府に赴任する時
この人とお供3人。計4人。

食米1斗9升5合(35.1リットル)
        (1日あたり約12リットル)
        (1人3リットル)
        3リットルって・・・
        この中に給与も入ってるのかな?
酒 1斗2合(18.36リットル)
      (1日あたり6リットル強)
      (一人あたり1.5リットル)
      お酒も1人、8合くらい飲んでる。
      飲み過ぎちゃうかな・・・

鋳銭司 八戸史広足
お供1人 計2人

食米 1斗5合(27リットル)
       (1日あたり9リットル)
       (1人あたり4.5リットル)
酒 5升4合(10.62リットル)
      (1日あたり3.5リットル)
      (1人あたり1.7リットル)

有名なところでは宮沢賢治の
「一日ニ玄米4合ト、ミソト少シノ野菜ヲタベ」
ってのがありますが、やはり玄米4合(0.72リットル)ってのはかなり少ないみたいですね。

教えてgoo
「宮澤賢治の「一日ニ玄米四合ト」は食いすぎじゃないか」

しかし今の「斗」「升」「合」と量が違ってるかもしれないな・・・

追記 Wikipediaの「升」の項目を見ると、やはりかなり時代によって変化があるみたい。

「升は元々は両手で掬った量に由来する身体尺であった。当時の升は200ミリリットル程度、現在の升の10分の1程度であった。それが時代とともに大きくなっていき、現在は元々の量の10倍程度になっている。」

 で、この「播磨国郡稲帳」は天平4年(732年)頃の史料だから、Wikiepdiaにある

「澤田吾一は、奈良時代の穀倉の大きさから割り出し、当時の1石として2,800立方寸を得た。当時使われていた尺度から現在の升量に換算すると、当時の1升は現升の0.4升に当たる(澤田吾一『奈良朝時代民政経済の数的研究』、復刻柏書房)。現在、最も信憑性の高いと信じられている升量である。」

という記述に従うと、
1.8リットル×0.4=0.72リットル
(あっ、計算するまでもなかった。4合瓶だ・・・)

で、すべて0.4倍で計算し直すと

正六位上 田中朝臣三上という人が太宰府に赴任する時
この人とお供3人。計4人。

食米1斗9升5合(14.04リットル)
        (1日あたり約4.68リットル)
        (1日1人1.17リットル)今の6.5合

酒 1斗2合(7.344リットル)
      (1日あたり2.448リットル強)
      (1日一人あたり0.612リットル)今の3.4合
       昔のお酒は度数が低かったのかな

鋳銭司 八戸史広足
お供1人 計2人

食米 1斗5合(7.56リットル)
       (1日あたり2.52リットル)
       (1日1人あたり1.26リットル)今の7合
酒 5升4合(3.88リットル)
      (1日あたり1.296リットル)
      (1人あたり0.648リットル)今の3.6合

おかずなしでお米ばかり食べて、ずっと歩いてると、まあこんなもんなのかな。
posted by kingstone at 03:21| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック