こんばんは。
朝のルーティーンを忘れてましたので夜に。
「古代からのメッセージ 播磨国風土記」の
「遠い異境への往還 直木孝次郎」より
日本書記の天武4年2月の条について書いてはる。
《巻首》◆日本書紀 巻第二十九より
《天武天皇四年(六七五)二月癸未【九】》◆二月乙亥朔癸未。勅大倭。河内。摂津。山背。播磨。淡路。丹波。但馬。近江。若狭。伊勢。美濃。尾張等国曰。
ここで国の並び方が
「播磨」→「淡路」
となっている。
もし山陽道の交通の方が多ければ
「播磨」→「備前」となるはず。
実際に後年はそうなっている。
当時も明石あるいは垂水(と直木さんは書いてるけど、まあ垂水から明石にかけての海岸線のどこかということだろうな)が一番の近道だったろうと考えられる。