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 あくまでも、私個人の意見です。

2015年11月17日

11月17日 播磨と淡路の交流は昔から(「播磨国風土記」より)



 こんばんは。

 朝のルーティーンを忘れてましたので夜に。




「古代からのメッセージ 播磨国風土記」の
「遠い異境への往還 直木孝次郎」より

 日本書記の天武4年2月の条について書いてはる。

《巻首》◆日本書紀 巻第二十九より

《天武天皇四年(六七五)二月癸未【九】》◆二月乙亥朔癸未。勅大倭。河内。摂津。山背。播磨。淡路。丹波。但馬。近江。若狭。伊勢。美濃。尾張等国曰。

 ここで国の並び方が
「播磨」→「淡路」
となっている。

 もし山陽道の交通の方が多ければ

「播磨」→「備前」となるはず。
 実際に後年はそうなっている。

 当時も明石あるいは垂水(と直木さんは書いてるけど、まあ垂水から明石にかけての海岸線のどこかということだろうな)が一番の近道だったろうと考えられる。




posted by kingstone at 23:07| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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