おはようございます。
真っ暗ですが、天気予報は晴れですね。
立野(たつの)立野となづくるゆえは、昔、土師(はにし)弩美宿禰(のみのすくね)、出雲の国に往来(かよ)ひて、くさかべ野に宿り、乃(すなわ)ち病(やまひ)を得て死(みう)せき。
立野は今の龍野。揖保川の流域にあります。
弩美宿禰(のみのすくね)は普通、野見宿禰(のみのすくね)。相撲の祖?当麻蹴速(たいまのけはや)と角力(相撲)をとって勝ったと言われている。でも「蹴り合った末にその腰を踏み折って勝ち」とあるから、今の相撲ではなく、総合格闘技っぽいな。
土師氏 野見宿禰がその祖とされているけど、まあそれは
伝説かな。古墳造営や葬送儀礼に関った氏族。
土木造営集団でもあったわけやな。特に古墳に
殉死の風習の替わりに埴輪や葺石を置いたという。
上の野見宿禰が亡くなったエピソードでも、
出雲(野見宿禰は出雲の人)から人がやってきて、
川の小石(といったってたぶん私なら持ち上げられる
かどうか、というくらいの大きさだと思う)を使って
墓を造ったという記述が後に続く。
古墳を葺石で覆ったわけ。
ちなみに、神戸市垂水区の五色塚古墳も側面は葺石
に覆われ、水平で平らな部分には円筒埴輪が並べられ
ている。