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2015年10月19日

10月19日(月曜日) 弩美宿禰(のみのすくね)は龍野で亡くなった(「播磨風土記」より)



 おはようございます。

 真っ暗ですが、天気予報は晴れですね。


立野(たつの)立野となづくるゆえは、昔、土師(はにし)弩美宿禰(のみのすくね)、出雲の国に往来(かよ)ひて、くさかべ野に宿り、乃(すなわ)ち病(やまひ)を得て死(みう)せき。

立野は今の龍野。揖保川の流域にあります。

弩美宿禰(のみのすくね)は普通、野見宿禰(のみのすくね)。相撲の祖?当麻蹴速(たいまのけはや)と角力(相撲)をとって勝ったと言われている。でも「蹴り合った末にその腰を踏み折って勝ち」とあるから、今の相撲ではなく、総合格闘技っぽいな。

土師氏 野見宿禰がその祖とされているけど、まあそれは
   伝説かな。古墳造営や葬送儀礼に関った氏族。
    土木造営集団でもあったわけやな。特に古墳に
   殉死の風習の替わりに埴輪や葺石を置いたという。
    上の野見宿禰が亡くなったエピソードでも、
   出雲(野見宿禰は出雲の人)から人がやってきて、
   川の小石(といったってたぶん私なら持ち上げられる
   かどうか、というくらいの大きさだと思う)を使って
   墓を造ったという記述が後に続く。
   古墳を葺石で覆ったわけ。
    ちなみに、神戸市垂水区の五色塚古墳も側面は葺石
   に覆われ、水平で平らな部分には円筒埴輪が並べられ
   ている。



   
posted by kingstone at 05:33| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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