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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2015年08月09日

チョコレートの世界史 武田尚子著

(まだ書いてる途中)
チョコレートの世界史 近代ヨーロッパが磨き上げた褐色の宝石
武田尚子著(中公新書)



 読書メモ
 基本、本から知ったことはボルドーで。


 イギリス労働者階級が手軽なカロリー供給源としてチョコレートに飛びついた。一服してかじりまた仕事へ。それ以前のカロリーを取る手段はアルコール。
(しかし摂取した後、「また仕事へ」っていう気が無くなると思うのだけど・・・まあそんな問題もあってチョコレートに飛びついたんだろうな)

カカオの種類
   クリオロ種・フォラステロ種・トリニタリオ種


カカオ生産地での作業
   収穫 カカオポッド(カカオの木に実った莢)を収穫する
   発酵 カカオポッドを割り、白い果肉に包まれた種子を発酵させる
   乾燥 種子を取り出し、乾燥させる
   出荷 袋詰めして出荷


結実から出荷まで/日本チョコレート・ココア協会

 この日本チョコレート・ココア協会のホームページは他にも、ココアパウダーやチョコレートの作り方なんかも詳しくいろいろ載っている。


歴史

原産地

中米
BC11世紀頃 オルメカ文明 メキシコ湾岸タバスコ地方
(タバスコって地方名やったんや!)
BC2〜AD2世紀頃 イサパ文明 もう少し陸の中央 
       遺跡から炭化したカカオ豆が出土
4〜7世紀 マヤの都市文明が栄えた ユカタン半島
       遺跡から出るカップに「カカウ」の文字や底に残滓が残ってたり。
4〜7世紀 テオティワカン メキシコ高原
12〜16世紀 アステカ王国 メキシコ高原
       出土品にカカオに関連した物がある。
       当時は上層貴族だけの飲み物であったと考えられる。
1521 スペイン人コルテスにアステカは征服された。


 で、中米のインディオは献納させられたり、労働力として使役されたりして、たいへんな目にあうわけだけど、たぶんスペイン人の持ち込んだ感染症で、人口がどんどん減ってしまう・・・で、その対策としてアフリカの黒人を奴隷として連れてきて働かせ、消耗して死んだらまた連れて来て、という鬼のような「大西洋三角貿易」

欧州、西アフリカ、西インド・北米の三角貿易(奴隷貿易)

ヨーロッパからアフリカへ
   船に積む物「武器」
   アフリカで売りつけ、部族間抗争させ捕虜を奴隷にする。
アフリカから中南米へ
   船に積む物「(物じゃないけど)黒人奴隷」
中南米からヨーロッパへ
   船に積む物「カカオ」「砂糖」


 で、常に船にはいっぱい荷物を積んで儲けられるというわけだけど・・・

英・仏・蘭が奴隷貿易廃止を決めたのは
1807 英
1848 仏
1863 蘭


 う〜〜ん、ポルトガルやスペインが植民地を作るので警戒しておかなきゃなんなかった、というのは知ってたけど、オランダも奴隷貿易はしてたんだ。日本は1600年代半ばからオランダと取引してたわけだけど、いろいろ警戒しておかなきゃならなかったんだな。また明治維新で日本人が奴隷にされずにすんだのは、奴隷貿易廃止の考え方が出てきてたせいだろうか。

 1807年の英国の奴隷貿易廃止について描いた映画が「アメイジング・グレイス」

ヨーロッパでのココア・チョコレート

 さて、最初はスペイン・ポルトガルにココアは輸入された。どちらもカトリック教国。最初は貴族と聖職者の間に広まった。

 聖職者の中で16〜17世紀に
「ココアは薬品か食品か」「液体か固体か」という論争がえんえんと続いたそう。
 春のイースター前の四旬節などに断食する習慣(えっ、カトリックでも断食、あるの?)があり、「薬品」なら断食期間中でも摂取できるけど、「食品」ならダメ。「液体」ならいいけど「固体」だとダメ。
で、まあ・・・こういうのって昔かたぎの人が文句つけるんだろうなあ・・・

1569 にローマ教皇ピウス5世が味わって「飲料であり、断食中に摂取して可」と判断したのにね。

 ちなみにこういう論争のタネになったのは、ココアだけでなく、茶・コーヒー・ジャガイモ・トウモロコシ・タバコ・トマトなんかもだって。
 まあ聖職者が論争している間に、貴族の間ではどんどん広まった。

ポルトガルでは宮廷ココア担当官がいて、仕事は主として2つ。
1.えらいさんにおいしいココアを提供する。(ってことは在庫管理なんかもね)
2.医学的知識を持ち、王室病院で傷病兵にココアを提供する。


 ええっと、ココアの輸入に関して、初期はどの国も「重商主義」を取ってるな。「重商主義」ってよくわからなかったけれど、輸入品に高い関税をかける「(国内産品を守る)保護貿易主義」と考えたらいいんだな。で、植民地の場合は「国内」と考える。

1643 仏ルイ14世即位
1659 トゥルーズのダヴィッド・シャリューに29年間のココア独占製造・販売権を与える。
1660 マリー・テレーズがスペイン式ココアを作ることのできる侍女を連れて嫁いで来る。


 これで仏貴族間におおいに広まる。

1676 仏。カフェオーナーのギルドができる。

 従来イベリア半島でユダヤ人が活躍していたが、16~7世紀は異端審問が厳しくなり、バスク地方(スペインとフランスの国境山岳地帯)に逃れて来るユダヤ人が増えた。

1687 ユダヤ人がバイヨンヌでココアを製造販売し始め、庶民に広がっていく。
(ダヴィッド・シャリューに29年間のココア独占製造・販売権が切れる)
1693 仏国内でのカカオ取引やココア販売が自由化された。
1761 仏。バイヨンヌ カカオ加工職人のギルドができる。
1773 西。マドリード カカオ加工職人のギルドができる。


 で、ここまでカトリックがらみの話でしたが、じゃあプロテスタント国はどうだったか。

オランダ

1609 蘭。独立。(ベルギーは独立できず)

 18〜19世紀 オランダ本国に入荷するカカオの量増加。市民層がココアの味を覚える。

1815 カスパルス・ヴァン・ホーテンがライセンスを取り、ココアの製造販売を始めた。
1828 コンラート・ヴァン・ホーテン(カスパルスの息子)が
     ・カカオマスをプレスして脂肪分を減らす
     ・「アルカリ処理」で味を穏やかにする
   方法を工夫し特許を取る。
1850 アムステルダム郊外のウェースプに工場を作り蒸気機関を使うようになった。
1879 コンラートの娘婿社長就任
    生産体制・広告・労働者のための住宅地整備など強化していった。


イギリス

1559 英。英国教会体制確立。
1642 クロムウェルのピューリタン革命
    クロムウェルは大地主(貴族)ではなく
    地方中小地主(ジェントリ)層
    (江戸時代の庄屋みたいなもんか?)
1650 オックスフォードにコーヒーハウスができる
1651 航海法制定(輸送手段はイギリスの船か、
    原産地の船に限るとした。オランダ排除が
    狙い。保護貿易の一種だよな)
1652 ロンドンにもコーヒーハウスができる
1655 スペインからジャマイカ奪取。ジャマイカには
    カカオプランテーションがあった。
1657 残っている新聞広告からロンドンにココアを
    売る店があったことがわかる。
    クロムウェル死去。
    国民の多くはピューリタン的道徳に倦んでいた。
1660 チャールズ2世即位。
    ポルトガルからキャサリン妃を娶る。
    持参した物の中に船7隻分の砂糖も。

 17世紀後半 「ロイズ」社の出発点は、「ロイズ」というコーヒーハウスに集まって保険の仕組みが必要だねと話し合った人たち。
 また「トーリー党」は「ココアの木」というコーヒーハウス(ややっこしい・・・)に、「ホイッグ党」は「セント・ジェームズ・コーヒーハウス」というコーヒーハウスに集まっていた政治的同志。

1688 両党は結束して名誉革命を成功させた

 18世紀前半にロンドンには数千軒のコーヒーハウスがあった。

18〜19世紀 イギリス議会下院には西インド諸島派があった。
   成功したプランテーションの子息がイギリスで
   教育を受け、そのまま議員になり、プランテーション
   の利益代表となる
1807 イギリス本国での奴隷貿易廃止
1815 穀物法制定(日本の米禁輸政策みたいなもん。
    保護貿易。ナポレオン戦争終結のさい、地主
    (農園主)たちが優勢な議会で決めた)
    これにより食料品価格は高く維持された

 食料品の高価格を生み出している体制を批判しはじめたのが、マンチェスターを中心とするイングランド北部の産業資本家層
 保護貿易か自由貿易かという問題は、「どこで(国内か海外植民地か)」、「何」を生産し、労働者として「誰」を使うかという問題に関わっている。保護貿易を主張する「西インド諸島派」は、海外植民地でモノカルチャー化させた農作物を生産し、労働力として黒人奴隷を酷使した。厳しい労働で消耗し、短命で終わる黒人労働者を次々と奴隷貿易で補充し、使い捨ての労働力として利用した。
 自由貿易を主張する産業資本家は、国内で工業製品を生産するので、労働力として国内の農村から都市へ移動してきた労働者を活用する。労賃に影響するしくみ、つまり保護貿易体制が打倒されるべき対象となった。

1833 植民地を含めたすべてのイギリス領で奴隷貿易廃止
1846 穀物法廃止
1849 航海法廃止

 もちろんこういった法律の廃止によって自由貿易体制が一気に築かれたのではなく、徐々に徐々にだろうけどね。で、またこれはイギリス国内の話であって、外国(植民地・植民地以外)に対してはアコギなことをやってるけど・・・(1840 阿片戦争)

 ここまでは貿易体制の話。
 
 ココア・チョコレートの話に戻すと


イギリスの3大ココア業者
   フライ家
   キャドバリー家
   ロウントリー家(KitKatを作ったところ)
     いずれもクエーカー教徒


クエーカー (ありゃま、本人さんたちの中では嫌がる人もいる言い方なんだ。自分たちでは友会徒(Friends)か。)
   イギリス発祥のプロテスタントの一宗派。
   創始者ジョージ・フォックス
   1650頃 「内なる光(聖霊)」の教えを説く不況活動を始めた。
        クロムウェルの議会軍兵士も多く入信。
   1660 信者数 3万人
       教区教会への「十分の一税」の支払い、脱帽・跪坐・低頭、武力の使用などを拒否。

   (こらもめるもとやわなあ。
    既得権益の無視、権威の否定、権力行使の否定・・・
    しかし兵士がたくさん入ってて「武力使用拒否」?)

 クロムウェルの時代が終わり、王政復古期には国教会に属さない者は「非国教徒」として弾圧された。公職、学校、自治都市から追放され、1661年には約4200名のクエーカーが逮捕された。

 1689年の名誉革命、その後の信教寛容法によって、イギリスでは信教の自由が認められるようになった。迫害は収まったが、非国教徒に対する差別は続いた。19世紀初頭でも公職への就任、公的な高等教育を受ける機会は限定され、官僚、弁護士、医師への道は閉ざされていた。

 つまり上記3大ココア業者はそういう中での話。

 クエーカーは都市部に集中していたのだけど、それは「十分の一税」を拒否していたため、農民だと家畜、商業者なら商品を没収されるけど、商業者のほうがまだしも被害が少なかったから。


 でカトリックとプロテスタントがらみの話でなるほどなあと思ってたら

1905 ウェーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
    の中でプロテスタント的禁欲が顕著に見られる信者集団として、
    カルヴァン派とともにクエーカーをあげている。


 ほんままさにそうやなあ・・・カルヴァン派と言えばスイスだよね。あとでネスレが出てくる。ネスレさんがカルヴァン派だったかどうかはわかんないけど。

 なお、イギリスやオランダはチョコレートが工業として発展していったのだけど、オランダ独立時に独立しきれなかったベルギーの場合、スペインに支配されカトリック優位で、形としては「工場」という感じではなく「小さなお店ががんばってます」(家内制手工業と言えばいいのかな)みたいな老舗感覚で有名店ができていった。「雇用の大きさ」なら前者、しかし「働いている人の幸せ感」で比べるとどうなんかなあ。質とか方向が違う、という感じかな?

1761 ブリストルの薬局フライ家がウォルター・
    チャーチマンのカカオ製造に関する水力
    タービン・使用許可証・製法などビジネス一式を購入
1795 フライ家でもカカオ粉砕器に蒸気機関を採用
   (ヴァン・ホーテンより早い!ワットの蒸気機関改良は1769)
1822 ロウントリー家。
    創業者ジョーゼフ・ロウントリーがヨークで食料品店を開く
1824 キャドバリー家。
    ジョン・キャドバリーがバーミンガムで
    ココア・コーヒー・紅茶を売る食料品店を開く
1830年代 鉄道網の整備が進む。輸送コストの低下。
1830 この頃ロウントリー家では徒弟12人
    その前後、2代目ジョーゼフは20歳で
    シティの食料品店で修行
19世紀前半 フライ家。
    ジョーゼフ・フライが搾油していない
    カカオマスにカカオバターを加えることを思いつく
    増量されたココアバターにより、多くの砂糖を
    溶かし込むことが可能になり、苦みが軽減された
    これを練り上げ成形すると甘くて風味の良い
    固形物になった
1840年代 ロウントリー家。アイルランドの飢饉に対して、
    創業者ジョーゼフは息子ジョーゼフを連れて
    アイルランドに視察に行く
1847 フライ家がチョコレートを作り出す
1852 ロウントリー家。創業者ジョーゼフの徒弟たちへの覚え書き(下記)
1856 キャドバリー家。
    1858まで2年間ジョージ・キャドバリーは
    ロウントリー家に修行に行った
1862 ロウントリー家。ココア製造を始める。
1866 キャドバリー家。
    ジョージ・キャドバリーはオランダへ渡り
    ヴァン・ホーテン社でココア圧搾機を購入して
    帰って来た。これにより媒介粉末無しの
    ココアパウダーを「ココア・エッセンス」として
    売り出した。
1879 ロウントリー家(ココア・チョコじゃないけど・・・)
    純粋果汁のフルーツキャンディを売り出し
    人気商品に(砂糖価格の低下)
1880 ロウントリー家はやはり媒介粉末なしの商品を、
    固いので「エレクト・ココア」として
    売り出した。(エレクト・・・)
19世紀後半に、イギリスでは労働者階級でもココアに
    砂糖を入れて飲むことができるようになった。
1887 ロウントリー家。従業員100人超え。
1890 ロウントリー家。郊外型の新工場建設
1896 ロウントリー家。宣伝・広告のため自動車購入。
1897 ロウントリー家。有限会社に。
1901 ロウントリー家。
    シーボーム・ロウントリーが
   「貧困ー都市生活の研究」を出版。
    現在でも社会学、社会福祉、社会調査などの
    分野で高く評価されている。
1904 ロウントリー社。従業員約3000人に。
1926 ロウントリー社。従業員約5000人に。
1935 ロウントリー社。「チョコレートクリスプ」発売。(KitKatのこと)


 クエーカー教徒は様々な形の「集会」をもともともっていて、それが業者同士の「運営会議」となり協力してともに発展していけたのじゃないか。それからすごく興味がひきつけられたのだけど、Wikipediaに
「プログラムのない集会(静粛集会)の方の最小単位は、集会(Meeting)または月会(Monthly Meeting)と呼ばれ通常日曜日ごとの礼拝を行っている。こうした集会は、礼拝に決められた礼典の次第がないため「プログラムなし」と呼ばれている。誰かが語り始めるまで沈黙を保つことになっている。聖職者はいないが、様々な委員会や役職が、他宗派では聖職者が行うような重要な役割を果たすことが可能である。」
 これ、ベーシックエンカウンターと同じやり方じゃん。
 なるほど、なるほど、と勝手に納得。

創業者ジョーゼフの徒弟たちへの覚え書き(1852)
   ・茶および食料品卸・小売業に関わる実践的な
    知識を取得し、経験を積むためにあらゆる
    機会を活用して良い
   ・簿記関係の書類、物品輸送関係の書類を自由
    に見てかまわない
   ・時間厳守で、他人の時間を浪費するようなこと
    をしてはいけない
   ・平日にクエーカーの集会に出席できるように
    仕事時間を調整してかまわない
   ・1人ずつに個室が与えられ、それぞれの部屋
    には洗面設備がついている。
   ・衣服・言葉に注意をはらい、クエーカーとして
    の生活態度を身につけることが望ましい


 このあたり、二宮尊徳とかを連想するな。

 1840年代のアイルランドの飢饉を視察に行ったりとかの中で、息子ジョーゼフ・ロウントリーは社会問題に強い関心を持ち、統計資料を集め、独力でイギリスの貧困状況の分析をした。

19世紀半ば 労働者階級の生活改善のためにクエーカー教徒がやったこと
(フライ家、キャドバリー家、ロウントリー家、すべてやっている。)
○成人学校(すべての宗派に開かれていた)
   ・図書館
   ・農園
   ・懇親クラブ
○ワークハウス
   ・貧困者に居住スペースと仕事を提供する
○アルコールへの耽溺からココアへ→禁酒運動
○少年労働(煙突掃除の少年使役)の禁止
○ワーキングクラスの憂さ晴らし
   (動物賭博・動物いじめ(ざこば師匠かいな・・・))
      ↓
    動物愛護協会を作って禁止へ


 私自身は大人に対して「学校」という名前はあまり好きではないけど、要するにいかに余暇を過ごすか、もっと言えばコスト少なく、本人にも周囲にも害なく「時間つぶし」できるか、ということだよね。それを見つけるチャンスを作る、という話。(「時間つぶし」という言葉を使って気分を害した人もいたんだけど、でも趣味にしろ、学問にしろ、本質はそこじゃないかな?)
 アルコールは取り過ぎると自分の体を害したり、周囲の人にも迷惑をかける。ギャンブルは、はまりすぎると多くの人は「大借金」を作る。(もちろん勝つ人もいるだろうけど、それは少数)まあ、おこづかいの範囲で負けてニヤッと笑える程度ならいいけど・・・)
 で、別に価値の上下ではなく、何かを調べて発表したりするのは、そういうものに比べてはるかにお金もかからず、かつ時間はかかって(長時間楽しめて)、「時間つぶし」に最適なんだよね。


ロウントリー家の1870年代の徒弟への給料の払い方
    職長(現場責任者)が土曜日に帽子にお金を
   入れて従業員の間を回る。従業員にそれぞれに
   働いた時間を自己申告で聞き、その額を渡す。
   (これでいけてたってすごいなあ・・・
    まあ家内制手工業だからか・・・)

1904年 従業員が約3000人になれば、別の形の生活保障が必要になる。
   ・住居対策(田園ヴィレッジ)
   ・老齢年金
   ・遺族年金
   ・疾病給付金
   (これらは「貧困ー都市生活の研究」から導き出されている)


1926 従業員約5000人。若い女性従業員が増加し離職率が高かった。
   教育プログラムの整備(成人学校の経験が役に立った)
   週末クラブの充実
     各種スポーツ・ダンス・演劇・木工・料理・宗教・園芸

工場の生産性を高めるために
   アメリカ(フォードなど) テイラー・システム
   英(ロウントリー社など) 産業心理学



スイス

1876 アンリ・ネスレとダニエル・ペーターが
    風味の良いミルク・チョコレートを開発した



ベルギー

1857 ノイハウス創業
1883 コートドール商標登録
1910 ヴィタメール パン屋として創業



日本

1878 米津風月堂 チョコレート販売(輸入チョコの加工販売)
1918 森永製菓。カカオからチョコの一貫生産の工場を作る。
1920 森永製菓。ミルクチョコレート1枚10銭
   (大福1個5厘・女工日給20銭)
1921 森永製菓のコーディネートで、
    シーボーム・ロウントリーが日本各地で
    労働問題や企業経営について講演して回った。
1926 明治製菓。カカオからチョコの一貫生産の工場を作る。



世界規模の再編

1960 キャンベル(米)がゴディバ(ベルギー)と提携。のちに全権。
1988 ネスレ(スイス)がロウントリー(英)を買収
2009 クラフト・フーズがキャドバリー(英)を買収


posted by kingstone at 07:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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