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2015年07月12日

天災から日本史を読みなおす 磯田道史著



読書メモ。

 朝日新聞be連載「磯田道史の備える歴史学」2013.4.6〜2014.9.27を加筆修正して書籍化したもの。

 磯田さんは小学生の頃から歴史学者になりたいと思っており、最初に入学した京都府立大学(1年でやめた)での水本邦彦先生の歴史学の講義が歴史災害の話であったそう。そして、お母様自身が、徳島県の牟岐(むぎ。海部郡牟岐町)という町で、1946年12月21日に、昭和南海大地震による津波にあい、九死に一生を得てはる。
 なお、その時、森繁久弥も満州から帰ってきて、鮮魚の闇商売をしようとやってきていて津波に遭遇している。それは「森繁自伝」に書かれているそう。

 そのために、災害史に興味を持ち、昔から史料を集めておられたそう。急に災害史を研究し始めたのではないわけね。

 1586年1月18日の天正地震では、近江長浜の長浜城は、水辺の軟弱地(しかし、当時としてはしっかりとした基礎を作っていたが、もともとの弱さがあった)が崩れ落ち出火し、たくさんの武士が死んだ。この時の城主は山内一豊。一豊は豊臣秀吉の家臣であり、その日は京都に居た。長浜城にいた娘はこの地震で亡くなった。

 そして、この地震が徳川家康を救ったのかもしれないそう。1584年に長久手の戦いで家康は秀吉軍に勝った。そのために秀吉は1586年に圧倒的な兵力で家康を攻撃するために、前線基地となる大垣城に兵糧蔵を建てさせ、以下の命令を発していた。

「(兵糧蔵は)塗屋(土蔵)とし、5000俵ほど入れ置け。川端の船着きに建て、まわりに堀を掘り、用心のよい場所にせよ」
「古米と新米を入れ替えよ」
(一柳文書)


 やっぱり戦の専門家。兵站を大事に考えてはるわけね。

「フード左翼とフード右翼」にも

「戦争の素人は戦略、戦術を語り、戦争のプロは兵站を語る」

って言葉があったけど・・・

 で、その大垣城は

「ことごとく覆り、その上、出火。城中一家も残らず焼けた」(一柳家記)

という状態になり、秀吉は攻撃を断念するに至った。この攻撃が成功していれば、それこそ歴史が変わっていただろう、って。


 また秀吉は、1596年9月5日の伏見地震で、死にかけている。真っ裸で寝ていたところに地震が来て、女物の襦袢を来て外に飛び出し九死に一生を得ている。

 この時、秀吉は朝鮮半島で交戦中で、主たる交戦相手の中国(大明帝国)の使者を迎えて交渉するために、軍勢と美女を集めて使者の度肝を抜こうとしていた。しかしその女性たちはことごとく圧死したそう。50名から700名まで諸説あるそうだが、数百名は下らないって。

 で、その後また、懲りずに美女狩りをやったって・・・

 で、朝鮮半島での戦いの厭戦気分の中で、この地震をきっかけに人心が秀吉から家康に移っていったそうな。


 あと、宝永地震(1707年10月4日)富士山宝永大噴火(1707年11月23日)とかについても詳しく書かれている。

 なお、宝永地震の時は、大阪も津波が襲った。
 標高3.6m地点まで来た、と推定され、堺筋の近鉄なんば日本橋駅を越え、国立文楽劇場の前を通り越して、生国魂神社の松屋町(まっちゃまち)筋の道路まで冠水させたと考えられる。

 また1361年(南北朝時代)、正平津波が大阪を襲い、

「天王寺金堂が破れて倒れ、また安居殿御所西浦まで潮が満ちて、その間の在家(民家)・人民が多く損失した」(嘉元記)

 歴史的に見れば、大阪とかにも結構津波が来てるんですね。
 時々テレビなどで語られる「南海トラフを震源とした地震」が来たら、神戸あたりでもやばいのか・・・なんとなく瀬戸内海は大丈夫なんちゃうか、と思ってましたが。

 まあ、明石市立文化博物館の常設展示で見たのですが、200万年前は瀬戸内海は無く陸地だったようです。ってことは、瀬戸内海が出来ていく過程で、とんでもない天変地異が起こっただろうことは推測できますもんね・・・


 なお、今回の東北大震災で岩手県大船渡小では265人の児童全員が助かったのだけど、当時の柏崎校長をはじめ、教師集団の適切な判断・行動があったそう。

 大船渡小学校自身がちょっとした高台にあり、避難所に指定されていた。で児童や避難して来た人がいたのだけど、柏崎校長が海の方を見た時に、

「避難していた校庭から海手の方を見ると、バキバキと音を立て、土煙を上げながら家の屋根が移動しているのが見えた」

ので、柏崎校長が指示を出す。

「大中に避難!」

 しかも、正門(下側。標高7m)を回っている時間は無いだろうと判断し、裏側のフェンスを乗り越え直線で高い所に移動したのが良かった。(まあフェンスが1mの高さだったのも良かったけど・・・これが2mならつらい・・・)越えられない1年生の子たちは先生が抱えたり引っぱり上げたりして越えさせたそう。


posted by kingstone at 23:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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