おはようございます。
梅雨空です。
ジョセフ・ヒコ
(1837- 1897)
本名 浜田彦蔵
播磨国加古郡阿閇村古宮(現・兵庫県加古郡播磨町)で生まれる。
つまり現在の私の職場がある播磨町の出身なわけ。
1851年に、Wikipediaでは江戸に向かう途中、「播磨ゆかりの50人」では江戸から播磨に帰る途中、紀伊半島沖で難破、2か月の漂流の後、アメリカ船に助けられ、アメリカで暮らす。アメリカ国籍を取る。
日本が開国したことを知り、安政6年(1859)に日本に来るが、当時は安政の大獄とかあった時代だから、外国人を狙う過激派攘夷武士に狙われる危険があったので、一時アメリカに帰国している。
1862年再来日。
1864年、日本語の、あるいは英語の新聞を発行した。
これが日本で初めての「新聞」と言われる。(それまではかわら版ということかな)
でも赤字で数か月でやめたそう。