おはようございます。
雨上がりの曇りだったのが晴れてきました。
涼しいです。
阿江与助(あえ[あこう]よすけ)
(?ー1634)
「播磨ゆかりの50人」と
竜野・社 闘龍灘と播磨平野の城館
を参考に。
阿江家に養子で入った。阿江家は土地の大庄屋なんだけど、赤松氏の流れをくむんだって。
で、最初は当時の姫路城主木下家定の名で1594年に加古川の闘龍灘の開削に成功。
闘龍灘は加古川の中の奇岩で有名。鮎の解禁が早く、季節になると毎年神戸新聞に鮎解禁のニュースが出る。ここだと友釣りはしにくいから、たぶんドブ釣り(毛針釣り)。
で、それがどのあたりかと言うと、今、兵庫教育大のあるあたりで、私たち瀬戸内海の近くに住むものにとっては「ものすごく山の中」というイメージです。そんな所まで舟で行ってたんですね。木下家定は年貢米の搬出のために掘削を命じたとのことです。
1594 加古川の滝野以南の水路を完成(兵庫教育大のあるあたり)
1604 竜野以北の水路を完成。
1606 佐治川の水路を完成。丹波本郷(丹波市氷上町本郷。兵庫県のど真ん中)までの通船が可能に。
結局、何年も大土木工事に携わってはったんですね。