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 あくまでも、私個人の意見です。

2015年05月05日

第2章 トリノを再位置化する(縮小都市の挑戦 矢作弘著)



承前

縮小都市の挑戦 矢作弘著 序章「縮小都市の時代」

第1章 甦るデトロイト(縮小都市の挑戦 矢作弘著)

第2章 トリノを再位置化する ー ポストフォーディズムの都市づくり

トリノ
   ピエモンテ州の州都であり、トリノ県の県都
   北イタリア アルプスのふもと
   都市圏人口は170万人(市自体は87万人)

自動車会社フィアットの企業城下町だった

1562 サヴォイア家に属す
1720 サルデーニャ王国の首都
1861 イタリア統一。最初の首都となる
1865 フィレンツェに首都移転
(1870 マリア・モンテッソーリ生まれる)
1899 フィアット創業
1916 フィアットのリンゴット工場建設開始(5階建てで屋上にテストコースがある)
    ル・コルビジェが絶賛
1943.3 反ファシズム蜂起
1944.3 反ファシズム蜂起
戦後 非創造的・無気力な都市になった
   (?ってことは政治的である必要がないほど
    ある程度の豊かさを実現した、ということかも・・・)
1950年代1960年代 貧しい南イタリアから大量の人口移動
   (つまり働き口があるということ)
1966 ジャンニ・アニェッリがフィアットの会長となる
1971 フィアットで151000人が働く(最盛期。
    デトロイトより20年ほど繁栄が続いた?)
1974年から1978年 経営不振。窮地に。
   そしてリビアのカダフィ大佐から資金援助を受ける。
1975 トリノ市の人口120万人(これがピーク)
1980年代はじめ リンゴット工場閉鎖
(1983 映画「人生ここにあり」の時代。
    EUの前のECからの助成金を獲得する話が出てくる)
1990年代
   1)中央政界の汚職がひどく地方分権が加速された
    地方政治が民主化され政党から相対的に独立した
    市長を直接選挙する制度がスタートした
    (ってことはそれまでどんなんやったんや・・・)
   2)フィアットの経営体力の脆弱化
   3)EUの都市重視(都市再生資金の供給)
1992 カステラーニ(トリノ工科大学教授)が市長に
2003 ジャンニ・アニェッリ死去
2006 トリノオリンピック
2011 イタリア統一150年祭(歴史の重視)
2014 フィアットは持ち株会社をオランダに置く


山田登世子「ブランドの条件」岩波新書


   モードは前の季節を全面否定し新しく生まれる。
   ブランドには起源がある。(歴史がある)

都市ブランディング
   1.来訪者(訪ねたい)
   2.住民と勤労者(暮らしたい)
   3.ビジネスと工業(投資したい)
   4.輸出市場(買いたい)

  連携
  対等
  シェア
  協働

車中心都市(ジャンニ・アニェッリは地下鉄を作らせなかった。路上駐車を取り締まらせなかった)から公共交通機関整備と歩行者重視へ
カフェ文化の復権

場の創造
   軽妙に(Light)
   素早く(Quick)
   手軽に(Cheap)
   LQC

プランからプロジェクトへ
   プランとは都市計画でスラムをつぶして大きなビルを建てるような
   プロジェクトとは小さな改善を積み重ねるような

   第3章 人口減少と高齢化の最先端を走る日本(縮小都市の挑戦 矢作弘著)
posted by kingstone at 00:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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