おはようございます。
快晴です。
快晴が続いてますね。
無功徳
むくどく
これは以前のエントリから引用
南朝梁(りょう)の天子武帝(464-549)は熱心な仏教信者で仏教講義をしたり、たくさんの寺を作ったりした。
インドから大聖達磨がやって来たと聞き、勅使をたてて都に迎え、相見した。
武帝「私は多くの仏寺を建立し、たくさんの僧に官許(ってことはお金もついてくるのかな?)を与えて供養した。さだめし、広大な功徳があることであろう」
達磨「無功徳(功徳など無い)」
もちろん「講義」をしたり「寺を作る」ことは「いいこと」なんだよね。
でもそれで、今後「功徳」がある、と期待しちゃだめなんだよね。
「功徳」は今、ここ、にそのままあるんだし。
で、ある意味、それがわからないのなら「無功徳」なんだし。