おはようございます。
まだ真っ暗です。
3月になっちゃった・・・(泣)
2週間の勝負。
他不是吾
たはこれわれにあらず
道元禅師が中国(宋)に行った時の典座教訓のエピソードの言葉。
Wikipediaを見ると、二人の典座に会ってるんやね。
Wikipediaから1つ目のエピソードを引用すると
「宋の天童寺に留学中だった私(道元)はある夏の日、中庭で寺の老典座が海草を干しているのを見た。老人は眉は白く腰は曲がっていたが、炎天下に竹の杖をつき、汗をかいて苦しそうに働いていた。私は気の毒に思って近づき、年齢を聞くと老人は『68歳だ』と答えた。
『なぜ、下働きの者にやらせないのですか』 老人は答えた。『他の者とやらは、私自身ではない』
『なぜ、今のような炎天の日中にされるのです』 老人は答えた。『一体、いつを待てと言うのか』
私はその場を離れた。そして廊下を歩きながら、典座職の重要さを考えたのであった」
最初の方の答えの「他の者とやらは、私自身ではない」という方ですね。
しかし、外国語でやりとりする時って、訳すと本来の意味より深い意味が加わったり、かっこいい感じになったりすることありますよね。道元禅師がうけとめたよりも、もっと単純な話かもしれない・・・とこのエピソードを読んで、改めて思いました。
でも、単純だからこそ深い、ってのもあるし。
そして
「他の者とやらは、私自身ではない」
「一体、いつを待てと言うのか」
というのは、実践する者の大切な心構えだと思います。