※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2015年03月01日

3月1日(日曜日) 他不是吾(たはこれわれにあらず)


 おはようございます。

 まだ真っ暗です。

 3月になっちゃった・・・(泣)
 2週間の勝負。


他不是吾
たはこれわれにあらず

 道元禅師が中国(宋)に行った時の典座教訓のエピソードの言葉。
 Wikipediaを見ると、二人の典座に会ってるんやね。
 Wikipediaから1つ目のエピソードを引用すると

「宋の天童寺に留学中だった私(道元)はある夏の日、中庭で寺の老典座が海草を干しているのを見た。老人は眉は白く腰は曲がっていたが、炎天下に竹の杖をつき、汗をかいて苦しそうに働いていた。私は気の毒に思って近づき、年齢を聞くと老人は『68歳だ』と答えた。
『なぜ、下働きの者にやらせないのですか』 老人は答えた。『他の者とやらは、私自身ではない』
『なぜ、今のような炎天の日中にされるのです』 老人は答えた。『一体、いつを待てと言うのか』
私はその場を離れた。そして廊下を歩きながら、典座職の重要さを考えたのであった」


 最初の方の答えの「他の者とやらは、私自身ではない」という方ですね。

 しかし、外国語でやりとりする時って、訳すと本来の意味より深い意味が加わったり、かっこいい感じになったりすることありますよね。道元禅師がうけとめたよりも、もっと単純な話かもしれない・・・とこのエピソードを読んで、改めて思いました。

 でも、単純だからこそ深い、ってのもあるし。
 そして

「他の者とやらは、私自身ではない」
「一体、いつを待てと言うのか」

というのは、実践する者の大切な心構えだと思います。

 
posted by kingstone at 05:21| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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