ある人から聞いた言葉。(決して私のオリジナルではありません)
追記 これを言ったのは、 @hit1678 さんです。
「今この子をほめるために私に何ができるか、を考える」
これはいい。
で、確かに、そう言われてみれば、私も、そう考えてやってること多いわ。
なんかね。「褒めて育てる」とか「いや叱らなきゃ」とかいう論争というか、何というか、なんか変、と思ってたんだよね。「ふへっ?育てるために褒めるのかよ。単にその子がすげえからこちらが褒めたくなる、ってことでいいじゃん。で、それはこちらにとって都合のいいことと限ったわけではないよな」とかね。
なんか「褒めて育てる」にしても、「いや叱らなきゃ」にしても、「今この子」そのままではいけないような感じがするんだよね。でも「今この子をほめるために、私に何ができるかを考える」だと、その子はその子のままで、で、その子のすげえなあという点を見つけて褒める、見つけられるように環境を整えたりする、って感じがするなあ。
で、もっといや、その子がやった行動そのものが、その子を褒めてくれるのがいちばんいい。
あるいは「物」がほめてくれるとか。
浅原さんがよく言ってるのは(ひょっとしたら、モンテッソーリの言った言葉なのかもしれない)
「物が教えてくれる」
で、物や行動が褒めてくれる例として、比較的簡単なのが「自立課題学習を完成させた喜び」とか。人が介在しないやつね。(実は人が環境を整えてるんだけど)