寒いっすね。
まあ12月も後半だもんな・・・
夕されば門田の稲葉訪れて 蘆のまろ屋に秋風ぞ吹く
三省堂大辞林
ゆふされ ば ゆふされ− 【夕されば】( 連語 )
夕方になると。夕方がくると。
「 −小倉の山になく鹿のこよひはなかずいねにけらしも/続古今 秋下」
学研全訳古語辞典
まろ−や 【丸屋】名詞
葦(あし)や茅(かや)などで簡単に屋根を葺(ふ)いた、粗末な家。
(ひょっとして、芦屋という地名は「あしのまろや」から来てるのか?)
解釈
「夕方になると、門の前の田んぼの稲葉の所に行って(しかし、秋風が吹いているのだから、もう稲刈りは終わってるよな)みると、蘆でできた粗末な小屋に秋の風があたって蘆が揺れている」
う〜〜ん、やっぱり
「寂しさに宿を立ち出でてながむれば いづくも同じ秋の夕暮れ」
のほうがシンプルで印象的やな。
源 経信(みなもと の つねのぶ、1016年 - 1097年)
平安時代後期の公家・歌人。
宇多源氏、権中納言・源道方の六男。
官位は正二位・大納言。桂大納言と号す。
小倉百人一首では大納言経信。
上記、Wikipediaを見てみると、解説には無いですが、2枚も「源経信と鬼」という絵が出てます。
で、検索してみたらこんな記事がありました。
「破天荒の浮世絵師 歌川国芳 前期:豪傑なる武者と妖怪 【太田記念美術館】」
(関東近辺の美術館めぐり 〜美術・美景・美味を楽しむブログ〜)
歌川国芳 「百人一首之内 大納言経信」
平安時代の歌人、源経信が和歌を詠んだところ、
風流を好んだ朱雀門院の鬼が漢詩を吟じたという
シーンを描いた作品です。影のような大きな鬼が現れ、
口から文字の入った帯のようなものを吐き出していて、
これが漢詩のようでした。漫画のようだと解説されて
いましたが、斬新で面白い発想でした。
(これ、よく西原理恵子さんが使ってる技法だな・・・)

もずらいとさんのコメント
夕されば門田の稲葉おとづれて 蘆のまろ屋に秋風ぞ吹く
>解釈
「夕方になると、門の前の田んぼの稲葉の所に行って(しかし、秋風が吹いているのだから、もう稲刈りは終わってるよな)みると、蘆でできた粗末な小屋に秋の風があたって蘆が揺れている」
歌を誤変換したようで,そのため一カ所明らかに間違っています。
夕されば門田の稲葉 → 解釈のとおりです。
おとづれて → これは「衣擦れ」と同じで「稲同士があたってさやさやと音を立てている」が本義で,これに「訪れて」が掛詞になっています。
蘆のまろ屋に秋風ぞ吹く → だいたい解釈のとおりですが,家に使っている「蘆が揺れている」くらいだと強風ですので「秋風が寂しく吹いているよ」あたりが適切かと思います。
もずらいとさん、どうもです。
>「稲同士があたってさやさやと音を立てている」が本義
ありゃ。
稲刈り、まだ終わってなかったんですね。
>「蘆が揺れている」くらいだと強風ですので
>「秋風が寂しく吹いているよ」あたりが適切
蘆ってそんなに強い物なのか・・・
片方を留めていないスダレみたいなもんで、少しの風でも揺れるかと思ってました・・・
>解釈
「夕方になると、門の前の田んぼの稲葉の所に行って(しかし、秋風が吹いているのだから、もう稲刈りは終わってるよな)みると、蘆でできた粗末な小屋に秋の風があたって蘆が揺れている」
歌を誤変換したようで,そのため一カ所明らかに間違っています。
夕されば門田の稲葉 → 解釈のとおりです。
おとづれて → これは「衣擦れ」と同じで「稲同士があたってさやさやと音を立てている」が本義で,これに「訪れて」が掛詞になっています。
蘆のまろ屋に秋風ぞ吹く → だいたい解釈のとおりですが,家に使っている「蘆が揺れている」くらいだと強風ですので「秋風が寂しく吹いているよ」あたりが適切かと思います。