雨かな?
路面はしっかり濡れていて、今、空からはどうだっただろう?
忘れじのゆく末まではかたければ 今日を限りの命ともがな
何も見ずに描いてみると
「忘れることのできないような(遠い)将来まで一緒にいられるというのは難しいので、今日だけの命を一緒に生きよう」
みたいなことだと思うのですが・・・
まずは「ともがな」やな。
学研全訳古語辞典
と−もがな[連語]
…としたいものだ。…であってほしい。
ありゃ。
いきなり違ってた。私は「共がな」だと思ってたけど、「ともがな」で「〜としたいものだ・〜であって欲しい」というなら全然意味が違う・・・
あれ?でもだいたい解釈としては一緒かな?
「忘れてしまうような遠い将来まで一緒にいることができないのなら、(二人で会っている)今日、一日の命であって欲しい」
(たかしなの きし / たかこ、生年不詳 - 996)
平安時代の女流歌人。女房三十六歌仙に数えられる。
通称は高内侍(こうのないし)、
または儀同三司母(ぎどうさんしのはは)。
前者は女官名、後者は息子藤原伊周の官名(儀同三司)による。
(この人はちゃんと名前が伝わってるんだな)
藤原道隆の妻。道隆は関白にまでなっている。
藤原の道長は、道隆の弟。
息子隆家は995年「長徳の変」を起こし、出雲の権守に左遷。
それについていこうとしたが、許されず、その年に亡くなる。
40台であったと推定される。
(若くして亡くなってるなあ。ってかこのくらいで死ぬ人が多かったのかな)
もずらいとさんのコメント
>「忘れてしまうような遠い将来まで一緒にいることができないのなら、(二人で会っている)今日、一日の命であって欲しい」
細かいところが違ってますね
忘れじの → 「許すまじ」と今でも使うように「じ」は打ち消しの助動詞です。それだけではなく,「忘れじ」は男言葉で「忘れないよ(君のことを)」という内容です。
ゆく末までは → ここはkingstoneさんの解釈どおりです。
かたければ → 「難ければ」で「難しいので」となりますが,何が難しいかというと「君のことをいつまでも忘れないという彼が本当にいつまでも心変わりしない」です。
今日を限りの → 今日を限りとして
命ともがな → 「もがな」は調べたとおり願望の終助詞なので「命であってほしい」と。自殺願望があるわけではなく「私を愛してくれているここで時が止まって欲しい。死んでしまえばそれが叶うのに」という意味です。
ですので「私をずっと忘れないよというあなたが心変わりをしないで将来も私を愛し続けてくれるとは限らないので,今私だけを愛してくれる今日ここで命が絶えればいいのに」という歌です。
儀同三司母は清少納言が仕えた中宮定子の母親です。女性なのに漢詩にも秀でていたそうです。なお,名前は「きし」と音読みするのが正しく,というのも「たかこ」かどうかは(多分そうだとは思いますが)分からないからです。今でもキラキラネームというのがありますが,平安時代も名の読み方は自由で「明子」と書いて「あきらのけいこ」と読ませたりしていますので。娘も「ちゅうぐうていし」ですから。もっとも,こっちは「さだこ」だと漢字は違いますが,違うイメージの方が強いので「ていし」のままの方が良いのかもしれません(笑)。
もずらいとさん、どうもです。
>何が難しいかというと「君のことをいつまでも忘れないという
>彼が本当にいつまでも心変わりしない」
わ・・・無常を言ってるのかと思ったら(まあ、無常と言えば無常だけど)、どっちかというと相手を責めてるんですね・・・そう考えると後半の文句もちょっと怖くなる・・・
>「さだこ」だと漢字は違いますが,違うイメージの方が強いので
>「ていし」のままの方が良いのかも
昔から「ていし、って変な名前だな」と思ってたんですが、時代を考えると、本当にそう呼んでいた可能性が高いわけですね。現在だと「さだこ」は・・・
細かいところが違ってますね
忘れじの → 「許すまじ」と今でも使うように「じ」は打ち消しの助動詞です。それだけではなく,「忘れじ」は男言葉で「忘れないよ(君のことを)」という内容です。
ゆく末までは → ここはkingstoneさんの解釈どおりです。
かたければ → 「難ければ」で「難しいので」となりますが,何が難しいかというと「君のことをいつまでも忘れないという彼が本当にいつまでも心変わりしない」です。
今日を限りの → 今日を限りとして
命ともがな → 「もがな」は調べたとおり願望の終助詞なので「命であってほしい」と。自殺願望があるわけではなく「私を愛してくれているここで時が止まって欲しい。死んでしまえばそれが叶うのに」という意味です。
ですので「私をずっと忘れないよというあなたが心変わりをしないで将来も私を愛し続けてくれるとは限らないので,今私だけを愛してくれる今日ここで命が絶えればいいのに」という歌です。
儀同三司母は清少納言が仕えた中宮定子の母親です。女性なのに漢詩にも秀でていたそうです。なお,名前は「きし」と音読みするのが正しく,というのも「たかこ」かどうかは(多分そうだとは思いますが)分からないからです。今でもキラキラネームというのがありますが,平安時代も名の読み方は自由で「明子」と書いて「あきらのけいこ」と読ませたりしていますので。娘も「ちゅうぐうていし」ですから。もっとも,こっちは「さだこ」だと漢字は違いますが,違うイメージの方が強いので「ていし」のままの方が良いのかもしれません(笑)。