まだ外は真っ暗。
嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る
これは
「(「恋しい人がいない。寂しいな」と)嘆きながら、ひとりで寝ていると、夜が明けるまでの時間が、とても長い(と感じられる)ことを知ったよ」
だと思うのだけど。
でもって、これ、男の人の歌だと思ってたけど、「右大将道綱母」なんだなあ・・・女性が歌ってるんだ。
藤原道綱母(ふじわら の みちつな の はは、936年? - 995年)
平安時代中期の歌人。藤原倫寧の娘。
『尊卑分脈』に「本朝第一美人三人内也(=日本で最も
美しい女性三人のうちの一人である)」と書かれている
が、尊卑分脈は間違いも多く真偽は不明。
兼家との結婚生活の様子などを『蜻蛉日記』につづった。
(いろいろな親戚の名前が上がってるけど、当時の有名人が
網羅されてるなあ・・・すごく小さな世界で、がちっと固まって
権力を維持していたってことやろな。しんどい話なんやろな)
もずらいとさんからのコメント
>嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る
>
>これは
>「(「恋しい人がいない。寂しいな」と)嘆きながら、ひとりで寝ていると、夜が明けるまでの時間が、とても長い(と感じられる)ことを知ったよ」
うーん,最後が違いますね。
嘆きつつ → 「(あなたが来ないことを)嘆きながら」
ひとり寝る夜の → 「「一人で寝る夜の」
明くる間は → 「夜が明けるまでの間(あいだ=時間)が」
いかに久しきものと → 「どんなに長く感じるものかを」
かは知る → 係助詞の「か」「は」で反語になります。ですので「知っているのでしょうか?いや知らないですよね」となります。
ですので「(「恋しい人がいない。寂しいな」と)嘆きながら、ひとりで寝ていると、夜が明けるまでの時間が、とても長い(と感じられる)ことを,あなたは知っていますか?いや知らないでしょうね」となります。
右大将道綱母は日記文学の先駆け「蜻蛉日記」の作者としても有名で、この日記に夫の藤原兼家との話が出てきます。当時は一夫多妻制で,兼家はたくさん妻や愛人を持っていて,なかなか作者のところに来なかったようで,この歌は,珍しくやってきた兼家を「そんなに簡単に家に通してやるものか」と門を開けないでじらそうとしたら,とっとと違う妻の家に行ってしまいブチ切れた作者がその女の家(朝なのでまだ兼家はいる)に送った歌だそうです。
もずらいとさん、どうもです。
>かは知る → 係助詞の「か」「は」で反語になります。
>ですので「知っているのでしょうか?いや知らないですよね」となります。
ありゃ、私は「自分が知った」と考えたのですが、
相手(恋人)に「いや知らないですよね」と言ったわけですね。
しかし、それも趣ある恋の歌だ・・・と思ったら・・・
>ブチ切れた作者がその女の家(朝なのでまだ兼家はいる)に送った
全然ロマンチックやないやん・・・^^;
>
>これは
>「(「恋しい人がいない。寂しいな」と)嘆きながら、ひとりで寝ていると、夜が明けるまでの時間が、とても長い(と感じられる)ことを知ったよ」
うーん,最後が違いますね。
嘆きつつ → 「(あなたが来ないことを)嘆きながら」
ひとり寝る夜の → 「「一人で寝る夜の」
明くる間は → 「夜が明けるまでの間(あいだ=時間)が」
いかに久しきものと → 「どんなに長く感じるものかを」
かは知る → 係助詞の「か」「は」で反語になります。ですので「知っているのでしょうか?いや知らないですよね」となります。
ですので「(「恋しい人がいない。寂しいな」と)嘆きながら、ひとりで寝ていると、夜が明けるまでの時間が、とても長い(と感じられる)ことを,あなたは知っていますか?いや知らないでしょうね」となります。
右大将道綱母は日記文学の先駆け「蜻蛉日記」の作者としても有名で、この日記に夫の藤原兼家との話が出てきます。当時は一夫多妻制で,兼家はたくさん妻や愛人を持っていて,なかなか作者のところに来なかったようで,この歌は,珍しくやってきた兼家を「そんなに簡単に家に通してやるものか」と門を開けないでじらそうとしたら,とっとと違う妻の家に行ってしまいブチ切れた作者がその女の家(朝なのでまだ兼家はいる)に送った歌だそうです。