真っ暗です。
今日は2週間ぶりに職場に行きます。
新任研修「ねらいを考える前提 虐待について」をさせてもらいます。
名にし負はば逢う坂山のさねかずら 人に知られで来るよしもがな
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名にし負う【なにしおう】
名高い。有名である。
▼中国の泰山は名にし負う天下の名山である。
【参考】「し」は強調の助詞で「名に負う」を強めた言いかた。
『ちょっと差がつく百人一首講座』
【逢坂山(あふさかやま)】
山城国(現在の京都府)と近江国(現在の滋賀県)の国境にあっ
た山で関所がありました。「逢ふ」との掛詞になっています。
このあたりですね。当時は相当な山奥だったんだろうな。

Wikipediaより
サネカズラ
サネカズラ(実葛、学名: Kadsura japonica)は
マツブサ科サネカズラ属の常緑つる性木本。
確かに、この写真、よく見ると、ツルになっています。

実はこんなの

漢方薬には使うと書いてあるけど、「食べられる」とは書いてないな。
「有名な逢坂山のサネカズラはみんなに知られているように、あなたに会いに来るのはみんなに知られずに来るというのはたいへんむつかしい・・・でもきちゃった」
かな??
藤原定方(ふじわら の さだかた、(873年 - 932年)
平安時代前期から中期にかけての貴族・歌人。
和歌・管絃をよくし、紀貫之・凡河内躬恒の後援者であった。
もずらいとさんからのコメント
>名にし負う【なにしおう】
> 名高い。有名である。
「負う」ですから,国語辞典の意味ですね。古語辞典では「負ふ」の意味を調べると「『名に負ふ』の形で『(その名前が)身に備えている』」と載っているはずです。和歌ではよく出てくるフレーズです。「名にし負はばいざ言問はむ都鳥我が思ふ人はありやなしやと」とか。
「さねかづら」の「さね」は接頭詞の「さ」(早乙女(この「さ」に特に意味はない)とか,今の「さぁ〜しよう」もその名残でしょう)+「寝」で「共寝する」です。私は「かづら」も「頭(人)」の意味があるかなと思っているのですが,そういう説を採っている人はいません。「蔓(かづら)」をかんざしや髪留めとする風習から「かづら」を「かつら」となって,鎌倉時代くらいに頭の意味も持つようになったらしいです。
「来る」はこの場合,向こうから来るのではなく「通う」の意味です。さねかづらの蔓をたぐり寄せる「繰る」の掛詞でもあります。掛詞にするために「行く」「通う」が使えなかったのでしょう。
「よし」は今でも時代劇では「何々のよし,しかと心得た」なんて台詞が出てきますが,「方法」という意味です。
ですので,意味は
その名の通り,「逢う」坂山の「さね(共寝)」かづらと言うのなら,さねかづらの蔓が周りのものを引き寄せるように,人に知られずにあなたのところに通う方法があればなぁ
となります。当時は季節の花や草を添えて,歌を相手に届けるという風習があったので,さねかづらを歌に織り込んだのだろうとされています。
「くるよしもがな」なので,これは女性の立場に立って「さねかづらのようにあの人をたぐり寄せる方法がないかなぁ」という解釈もあります。ただ,そうすると恋文として適切なのか?とも思います。
もずらいとさん、どうもです。
>今の「さぁ〜しよう」もその名残でしょう
意外なところにまだ生きてる・・・
>「蔓(かづら)」をかんざしや髪留めとする風習から
>「かづら」を「かつら」となって,鎌倉時代くらいに
>頭の意味も持つようになった
なるほど。
もともと髪をまとめたり、飾ったりしてたわけですね。
>さねかづらの蔓が周りのものを引き寄せるように
(しかも、人に知られず・・・というのもあるだろうな)
ちょっとこわいですね。
でも、恋愛なんてそんなもんだろうな。
で、だから、
>さねかづらのようにあの人をたぐり寄せる方法がないかなぁ
恋文として適切かどうかは別として、「恋心の歌」としてはばっちりなんじゃないでしょうか・・・
> 名高い。有名である。
「負う」ですから,国語辞典の意味ですね。古語辞典では「負ふ」の意味を調べると「『名に負ふ』の形で『(その名前が)身に備えている』」と載っているはずです。和歌ではよく出てくるフレーズです。「名にし負はばいざ言問はむ都鳥我が思ふ人はありやなしやと」とか。
「さねかづら」の「さね」は接頭詞の「さ」(早乙女(この「さ」に特に意味はない)とか,今の「さぁ〜しよう」もその名残でしょう)+「寝」で「共寝する」です。私は「かづら」も「頭(人)」の意味があるかなと思っているのですが,そういう説を採っている人はいません。「蔓(かづら)」をかんざしや髪留めとする風習から「かづら」を「かつら」となって,鎌倉時代くらいに頭の意味も持つようになったらしいです。
「来る」はこの場合,向こうから来るのではなく「通う」の意味です。さねかづらの蔓をたぐり寄せる「繰る」の掛詞でもあります。掛詞にするために「行く」「通う」が使えなかったのでしょう。
「よし」は今でも時代劇では「何々のよし,しかと心得た」なんて台詞が出てきますが,「方法」という意味です。
ですので,意味は
その名の通り,「逢う」坂山の「さね(共寝)」かづらと言うのなら,さねかづらの蔓が周りのものを引き寄せるように,人に知られずにあなたのところに通う方法があればなぁ
となります。当時は季節の花や草を添えて,歌を相手に届けるという風習があったので,さねかづらを歌に織り込んだのだろうとされています。
「くるよしもがな」なので,これは女性の立場に立って「さねかづらのようにあの人をたぐり寄せる方法がないかなぁ」という解釈もあります。ただ,そうすると恋文として適切なのか?とも思います。