真っ暗です。
しかし、ここ2日間、めちゃ天気良かったから、同じ感じかな?
難波潟短き蘆のふしの間も 逢はでこの世を過ぐしてよとや
伊勢って名前が??だったのでWikipediaで見たら・・・
伊勢 (872年頃 - 938年頃)は平安時代の日本の女性歌人。
三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。
藤原北家真夏流、伊勢守藤原継蔭の娘。
伊勢の御(いせのご)、伊勢の御息所とも呼ばれた。
お父さんが伊勢守やったから伊勢。今で言えば兵庫県知事の娘を「兵庫」と呼ぶようなもんか・・・あんまり都道府県名では呼びそうにないなあ・・・もっと小さな町名、田中角栄の娘真紀子を「目白」と呼ぶのはありそうだけど。
はじめ宇多天皇の中宮温子に女房として仕え、藤原仲平・時平兄弟や平貞文と交際の後、宇多天皇の寵愛を受けその皇子を生んだが早世した。その後は宇多天皇の皇子敦慶親王と結婚して中務を生む。
よくもてたことがわかるけど・・・兄弟とつきあったり、親子とつきあったり・・・この時代は「そこらへんどうでもいいじゃん」の世界だったんだろうな。
学研全訳古語辞典
難波潟(地名)
歌枕(うたまくら)。今の大阪市の上町(うえまち)台地の
西側に広がっていた海で、旧淀(よど)川の河口にあたる。
港である「難波津(なにはづ)」があり、浅い海だったので
航路を示す「澪標(みをつくし)」が立てられ、あたり一面
に「葦(あし)」が生い茂っていた。歌では、「澪標」「葦」
などが景物として詠まれる。「難波江(え)」とも。
で、上町台地ってのは、北の端が大阪城あたりだって。そこから西側に難波潟が広がってたわけね。
ふし 葦に「ふし」はあるのか?竹と間違ってないか?・・・
と思って画像をいろいろ見たら、確かに節みたいなものが
ありますね。枯れてくるとよくわかります。
「難波潟の短い葦にあるさらに短いふしのように短い時間でも、あなたに会わないでこの世を過ごしていくことはできません。(ずっとあなたと一緒にいたい)」
というような意味かな。
もずらいとさんからのコメント
>お父さんが伊勢守やったから伊勢。
当時はね特に女性は本名を呼んでいいのは親と夫だけでしたので,全員ペンネーム状態だったので,そんな呼び方もアリだったのでしょう。
意味はおおむね正しいのですが,最後が違います。
過ぐし→「過ぐ(暮らす・過ごす)」+強調の副助詞「し」
てよ→完了の助動詞「つ」の命令形
とや→格助詞「と」+係助詞「や」で「〜というのですか」いう疑問の強調
なので,kingstoneさんの訳よりもっと強い意味になります。
難波潟に生えている葦の間くらいの短い間でさえも(あなたと一緒でない時間なんて考えられないのに),あなたは「逢わずに過ごすのもアリじゃん」とか言うおつもりですか!(怒)
という情熱的な歌です。簡単に言えばつれなくなった恋人に「もっと来いよ!オラァ!」というのを格調高く歌ったものです。
もずらいとさん、どうもです。
>当時はね特に女性は本名を呼んでいいのは親と夫だけでした
「真の名」は知られないようにする、というのはよくわかるのですが、今だと名前がついた時に半紙に書いて壁(床の間のある家なら床の間)に貼る、みたいなことをしますが、当時の貴族でもそんなことはしなかったのかな?そうすれば、もう少し、いろんな記録に残ってそうなもんですが、ほんと、女性の名前って記録に残ってませんもんね。もちろん紙は貴重ではあったろうけど。
あり?男性の名前だって「真の名」とか思ってても、実は違う、ってことはよくあるのかも・・・
>kingstoneさんの訳よりもっと強い意味
あれでも、相当強い意味にしたつもりなんですが、まだ弱かったんですね。
確かに「疑問の強調」で来られると「怒り」を感じるは・・・
当時はね特に女性は本名を呼んでいいのは親と夫だけでしたので,全員ペンネーム状態だったので,そんな呼び方もアリだったのでしょう。
意味はおおむね正しいのですが,最後が違います。
過ぐし→「過ぐ(暮らす・過ごす)」+強調の副助詞「し」
てよ→完了の助動詞「つ」の命令形
とや→格助詞「と」+係助詞「や」で「〜というのですか」いう疑問の強調
なので,kingstoneさんの訳よりもっと強い意味になります。
難波潟に生えている葦の間くらいの短い間でさえも(あなたと一緒でない時間なんて考えられないのに),あなたは「逢わずに過ごすのもアリじゃん」とか言うおつもりですか!(怒)
という情熱的な歌です。簡単に言えばつれなくなった恋人に「もっと来いよ!オラァ!」というのを格調高く歌ったものです。