当たり前ですが、外は真っ暗です。
住の江の岸に寄る波よるさへや 夢の通ひ路人目よくらむ
Wikipediaを見ると
藤原敏行(ふじわら の としゆき、生年不詳 - 907年または901年)
書家としても有名。
小野道風(柳に飛びつくカエルを見ている人)古今の能書家
として空海とともに名をあげた。
逸話 『宇治拾遺物語』によれば、敏行は多くの人から法華経の書写
を依頼され、200部余りも書いたが、魚を食うなど、不浄の身
のまま書写したので、地獄に落ちて苦しみを受けたという。
他にも亡くなった直後に生き返り自らのお経を書いて、ふたたび
絶命したという伝説もある。
お釈迦様は、肉食しなかったのかな?悟りを開いた時はミルクを飲んだけど。で、在俗の人なのに、魚を食べて写経したくらいで地獄に落とされたらかなわんなあ・・・
自分でお経を書いて絶命した、というのはちょっと「笑える」エピソードやな。
百人一首講座より
「住の江」は、摂津国住吉(せっつのくにすみよし=現在の
大阪府大阪市住吉区)の海岸のことです。
えーーっと、ここは咲洲(さくしま。トレードセンターや、コスモスクエア、インテックス大阪なんかがある)に行く時、乗り換え駅から見えるボートレース場(住の江ボート)のあるところだよな。(あれ、しかし今Google Map を見てみたら、確かに住の江駅からポートライナー的な電車が出てるけど、地下鉄からの接続がはっきりしないなあ・・・)
このあたりは、埋め立ててどんどん海側に出ていってるから、当時はきれいな海岸だったんだろうな。
百人一首講座より
【人目(ひとめ)よくらむ】
「人目(ひとめ)」は「他人の見る目」のことです。「よく」は
「避ける」という意味の下二段動詞の終止形。「らむ」は原因や
理由を推量する助動詞の連体形で、「夜さへや」の係助詞「や」
の結びとなります。全体で「他人の目を避けてしまうのだろう」
という意味になります。
そうか「よく」は「よける」なんだ。
ということは
「住の江の浜に寄る波、その夜でさえ、夜には当然の夢で会いに行ってるのに、なんで人目を気にするのですか」
ということかな。
もずらいとさんからのコメント
この歌も技巧が凝らされています。「住の江の岸に寄る波」は次の「よる」の序詞です。そして「よる」は「夜」と「寄る(恋人の家に通う)」が掛詞になっています。「さへや」は添加の副助詞「さへ(添えの変化とされています)」+「や」,これは「ぞ・なむ・や・か・こそ」と習った係り結びで「らむ」とセットで「なぜ〜なんだろう」とこの場合は疑問の強調になります。「夢」の内容は今よりはるかに運命を暗示するものと信じられいました。
で,意味は
「住の江の岸に寄る波」のように夜に通うことまで,しかも夢での通ひ路なのに,どうして人目を避けてしまうのだろうか
です。この歌は女性の気持ちになって「あなたは夢の中でさえ人目を気にしてどうして私の所に来てくれないのですか」という解釈と,自分の立場で「あなたの所に行きたいのにどうして私は人目を気にしてそができないのだろう」という解釈の二通りがあります。私はわざとどちらにもとれるようにしたのではと思っています。
もずらいとさん、どうもです。
>女性の気持ちになって
>「あなたは夢の中でさえ人目を気にしてどうして私の所に来てくれないのですか」
>という解釈と,自分の立場で
>「あなたの所に行きたいのにどうして私は人目を気にしてそができないのだろう」
>という解釈の二通りがあります。私はわざとどちらにもとれるようにしたのではと
ははあ。
どっちかな?と思って、でも上に上げたブログから、女性の立場で解釈したんですが、そうか、どっちでも取れるように、わざとしてるのか。そういう歌も結構ありそうですね。
で,意味は
「住の江の岸に寄る波」のように夜に通うことまで,しかも夢での通ひ路なのに,どうして人目を避けてしまうのだろうか
です。この歌は女性の気持ちになって「あなたは夢の中でさえ人目を気にしてどうして私の所に来てくれないのですか」という解釈と,自分の立場で「あなたの所に行きたいのにどうして私は人目を気にしてそができないのだろう」という解釈の二通りがあります。私はわざとどちらにもとれるようにしたのではと思っています。