なお、もずらいとさんがコメントをつけて下さった場合は、本文に転載させて頂こうと思っています。私には、めちゃ勉強になるからね。まあ、お忙しくて、毎日は無理でしょうが・・・
でもって、Wikipediaを見ながら、ちょっとおさらい。
百人一首ってのは、一人一首ずつ百人分を集めた詞華集である、と。で、藤原定家が作ったのが小倉百人一首で、他の選集もあるけれど、もうなんといっても小倉百人一首が有名なので、百人一首と言えばそのまま小倉百人一首になってるってわけね。
藤原定家 1162年〜1241年
へえ、「定家」は「さだいえ」と読むけど、諱は「ていか」なのか・・・
そう言えば、お坊さんももともとは名前を「訓読み」して、
お坊さんとしての時は名前を「音読み」する場合も多いような・・・
で、「定家」は公家だけど、平清盛が死んだのが1181年。
19歳だから、既に公家としての仕事をしていたのかな・・・
と書いてびっくり。Wikipediaの「官歴」のところの最初に
仁安元年(1166年)12月30日:従五位下に叙位
って、4歳だよ・・・4歳で「官歴」!?
まあ、これは名前だけだろうけど。
安元元年(1175年)12月8日:侍従に遷任(俊成、右京大夫辞任に伴う任官)
「任官」ということは、仕事してんのか?
13歳、つまり中1か、中2だけど。
平家が滅んだのが1185年。ということは定家23歳くらいの時。
武士の力が強くなって来た時代だけれど、でもまだ公家も、
荘園から上がる収入とかが多かったんだろうか?
(それとも官ということで、朝廷から給与(?)が出てたのか?)
でもって『新古今和歌集』も定家の選なのね。
歌は1番が天智天皇(626年〜672年)から、100番順徳院(1197年〜1242年)までが集められている。
前後600年。長い期間だなあ。
毎年、お正月には、親戚の家に行って、百人一首をするんですが、もう私は徹底的に負けます。よほど運が良くないと(たまたま「われても・・・」が目の前にあるとか)、1枚も取れないという事態もしょっちゅうです。
いくら毎朝書いても、覚えられはしないだろうな・・・
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もずらいとさんからのコメント(改行はkingstoneが入れました)
>「定家」は「さだいえ」と読むけど、諱は「ていか」なのか・・・
wikiの解説が不正確です。
諱は「忌み名」で本来は亡くなってから呼ぶ名で。たとえば「名は裕仁,諱は昭和天皇」が正しい用法です。ところが,時代が下がって「ありがたそうな名前」を指すこととなりました。
昔は本名を知られてしまうとね操られてしまうという考えがあり,本名は親兄弟と上司,夫婦くらいしか知らず,呼びませんでした。たぶん定家の本名は「さだいえ」でしょうが,それを呼ぶのははばかられるため「ていか」と,他の人は呼んだのです。
これは幕末まで続き,西郷従道はそのため名前が変わった人です。本当は「隆興」だったのですが,薩摩なまりで「りゅうこう」というのを「じゅうどう」と聞き間違えられて「だったら従道だろう」となったのです。
目上の人を「父」「母」「兄」「姉」と実名を避け,逆に「娘」「息子」「弟」「妹」と呼ぶことがないのは,このなごりです。
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>昔は本名を知られてしまうとね操られてしまうという考えがあり
これは古来、いろんな国であったみたいですね。ファンタジーだけど、「ゲド戦記」でも本当の名が知られる、とか本当の名をあかす、とかが重要な話題になってました。
>目上の人を「父」「母」「兄」「姉」と実名を避け,
>逆に「娘」「息子」「弟」「妹」と呼ぶことがないのは,このなごり
ははあ。確かにそう言われてみれば、非対称だ。
wikiの解説が不正確です。諱は「忌み名」で本来は亡くなってから呼ぶ名で。たとえば「名は裕仁,諱は昭和天皇」が正しい用法です。ところが,時代が下がって「ありがたそうな名前」を指すこととなりました。昔は本名を知られてしまうとね操られてしまうという考えがあり,本名は親兄弟と上司,夫婦くらいしか知らず,呼びませんでした。たぶん定家の本名は「さだいえ」でしょうが,それを呼ぶのははばかられるため「ていか」と,他の人は呼んだのです。これは幕末まで続き,西郷従道はそのため名前が変わった人です。本当は「隆興」だったのですが,薩摩なまりで「りゅうこう」というのを「じゅうどう」と聞き間違えられて「だったら従道だろう」となったのです。
目上の人を「父」「母」「兄」「姉」と実名を避け,逆に「娘」「息子」「弟」「妹」と呼ぶことがないのは,このなごりです。