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 あくまでも、私個人の意見です。

2014年05月04日

ノーム・チョムスキー インタビュー



「知の逆転」という吉成真由美さんがいろんな人にインタビューしたものをまとめた本からの読書メモ。

 ノーム・チョムスキーさんのところから。

 資本主義とか社会主義という言葉を使う際には気をつける必要があります。宣伝文句によって使い古されて、もうほとんど何の意味も持たなくなってきてしまっているからです。
 アメリカは資本主義の国ということになっている。人々はコンピュータを使い、インターネットを使い、飛行機に乗り、薬を飲みます。では人々が使うほとんど全てのものはどこから来たのかというと、実は経済の公共部門から出てきたもの、つまりもともと税金によって、政府のプロジェクトとして開発されたものなのです。アメリカでは経済の公共部門(政府による資金供与)は非常に強力で、MITはその中心とも言えるでしょう。実際約50年前、ここでコンピュータが開発されましたし、利潤追求をする民間部門(私企業)に手渡されるまで、何十年も政府が研究資金を供与していたのです。


「MITは」というのは、チョムスキーさんがMITの教授だから。

 なるほどなあ。「実は経済の公共部門から」か・・・つまり公共事業とか・・・科研費なんてのもそうなるか・・・でもって公務員給与なんかも??

 唯一市場原理だけで動いているのが、金融部門です。だから何度も破綻する。

 でも、リーマンブラザーズはつぶれたけど、シティーバンクには公的資金が入ったんだっけ?

 Wikipediaの「シティグループ」

 2008年秋のリーマン・ブラザーズ破綻に端を発した金融危機の拡大は、シティグループの業績にも大きな悪影響を及ぼし、10月にはアメリカ政府から250億ドルの公的資金注入を受けた[11]。さらに、11月下旬には200億ドルに上る追加の資本注入および3060億ドルもの不良資産の損失の一部肩代わり(290億ドルまでは自己負担でそれ以上は1割の損失負担)の支援を受けたと同時に、政府により当面の間は普通株について四半期に1セント以上の配当が禁止された。



 メキシコの話をしますと、もともとアメリカの南西部はメキシコだったのですが、アメリカ帝国主義によって、メキシコの半分をアメリカが征服したわけです。
 1980年代から90年代にかけて、経済制裁を通して、多くの抑圧がなされました。
 94年に北米自由貿易協定(NAFTA)が発効し、同じ94年にクリントンは国境の武装を強化した。偶然ではありません。NAFTAはメキシコの大半の人々にとって有害であるということが、あらかじめわかっていたのです。メキシコの農業は、国の補助金からほとんどの利益を得ているアメリカの農産業には、とても太刀打ちできないから。
 NAFTAの、もう一つの項目は、アメリカの産業がメキシコ国内でメキシコの国内産業と同じ扱いを受けるという取り決めでした。これは双方向ではなかったので、メキシコの産業は、アメリカ国内でアメリカの産業と同等の扱いを受けることを要求できない。これではメキシコの産業がアメリカの多国籍企業に太刀打ちできるはずがない。結果、多くの移民が出るため、国境の武装強化を図ったということです。


 アメリカの農業も国からの補助金からほとんどの利益を得ている??
 でもってこれはTTPの話にもつながるな。チョムスキーさんは「保護関税の大事さ」みたいなことをこのインタビューのいろんなところで書かれてるけど、そうなんか・・・う〜〜ん。



 インターネットについての話の中で

 しかし、情報にアクセスするということ自体は、あまり役に立ちません。生物学者が、ハーーバード大学の図書館にある全ての生物学の論文を読んだとしても、ほとんど何の役にも立たないでしょう。実際優れた生物学者だったら、そんなばかげたことはしようともしないはずだ。生物学でノーベル賞をとるような人は、論文を片端から読むような人ではなく、何を探すべきか、何が大事か、ということがわかっている人です。だからこちらで大事なことを拾い、またあちらで大事なことを拾うというふうに働く。

 これはほんまに大事なことやと思う。もちろん「知識」「情報」がある程度あっての話だけどね。



 福音書は異端の書ということになっていました。キリスト教の歴史をさかのぼると、最初の200年ほどキリスト教者は迫害されていた。福音書が、いかなる権威システムにとっても望ましくないような、徹底的な平和主義を唱えていたからです。4世紀になって、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世がキリスト教を公認してから、キリスト教が迫害される立場から今度は迫害する立場に変わりました。
 1962年にローマ教皇ヨハネ二三世が福音書を復活させ、それがラテンアメリカにおける自由化運動の引き金ともなった。牧師や修道女たちが貧しい農村落に出かけていって福音書を読み、自分たちの生活を自らの手で築いていくことを説いたのです。福音書にあるとおり、貧困層の優遇ということを実践した。その結果どうなったか。
 南アメリカが社会主義に傾斜するのを恐れたアメリカはキリスト教を破壊するために、凶暴な殺戮によるテロ行動に着手したのです。一九六四年のブラジルのクーデターから始まりました。ケネディによって計画され、彼の暗殺後実行に移された。ネオ・ナチ式の恐怖政権を制定させ、それがあっという間に南アメリカ中に広がった。チリのピノシェ、アルゼンチン、ウルグアイなどの軍事政権がみなそうです。


 1962年に復活?

 Wikipedia 日本語訳聖書から

 カトリック教会が1962年〜1965年の第2バチカン公会議でエキュメニズムの推進を打ち出したことから、各国で聖書の共同翻訳事業が開始されたが、日本においてもプロテスタント諸教会とカトリック教会が共同訳聖書実行委員会(カトリック11名、プロテスタント31名)を1970年に結成し、1978年に『共同訳 新約聖書』を出版した。



 教育について

 MITのような世界的に優れたエンジニアリングとサイエンスの大学では、授業に出てノートをとり、それを試験で再確認するようなことは一切期待されていない。むしろ、教授の言っていることに見事に挑戦できること、あるいは、他の人たちと協力して独自の創造的な仕事をすることが期待されている。

 なるほど。



 数日前ゲイツ財団が、教育改善のための方策として、クラスにビデオカメラを設置するかまたは専門家を派遣することによって、先生と生徒の学習状態を評価することを提案していましたが、それは最悪の教育環境です。そんなことより学校が必要としているのは、予算向上であり、先生たちに対する尊敬であり、給与の改善であり、クラスの縮小化であり、施設の改善なのです。

 ゲイツ財団、そんなことを言ってるのか・・・

 実は私自身は自分の実践でも、現在の職場の他のスタッフさんの指導場面でも、動画を撮りまくってます。で、初めて担当されるスタッフさんとか、すごく嫌がります。「えええーーっ!初めてやのに!!」とかいう感じで。たぶんそれは悪いところを指摘される、失敗するところを見られたくない、そんな気持ちが働いているのだと思います。ある意味「監視」の方向で撮られるのではないか、ということですね。で、どうもカメラ設置とかいうと、設置を推進したいという側もそちらの方向で考えていることが多いような気がします。
 また子どもたちでも「私の悪いところを撮る気じゃないか」と疑ってかかるようなお子さんもいます。

 でも、現在、私の職場では、「撮影する場合もあることは当たり前」になっています。
 実際、私が動画を調べ、みなさんにお見せする時、「ほらこのスタッフさんはこんな素晴らしいようにしてくれてるでしょ」「お子さんはこんなすごい力を見せてくれてるでしょ」という場面を選び、それをお見せしていますから。
 また「うまくいかない場面」も取り上げることがあります。しかしそれは「お子さんに、かくかくしかじかの特性があって、その特徴がこういうふうに出ていて、だからスタッフさんはこう取り組んだほうがいいかもね」という形でお見せしますから。

 「撮影すること」ひとつをとっても、一見同じ形に見えても、どういう方向で考えてするか、によってそれは全然違う意味を持つものになってきますね。



 チョムスキーの著書。



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posted by kingstone at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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