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2013年10月19日

10月19日(土曜日) 紫の理想の雲はちぎれちぎれ仰ぐわが空それはた消えぬ(みだれ髪)

 おはようございます。

 雨あがり・・・とはいってもまたすぐ降ってきそう。


ーーー与謝野晶子 みだれ髪よりーーー

臙脂紫

紫の理想の雲はちぎれちぎれ仰ぐわが空それはた消えぬ

 この歌は「読めない」・・・(^_^;)

 まず「理想の雲」って「自分の理想」か、「理想的な形の雲」か・・・
 「それはた・消えぬ」か「それは・た消えぬ」か・・・
 もうそこからわからない・・・(^_^;)

 もずらいとさんがつけて下さった2つ目のコメントを転載します。
 その道、その道、プロってのはすごいもんですね。(もずらいとさんは国語科教師)

>「それはた・消えぬ」か「それは・た消えぬ」か

 それ・はた・消えぬ でしょう。枕草子一段で「風の音,虫の音,はた言ふべきにもあらず」の「はた」です。意味は「やはり」。
 「た」は語調を整える接頭詞として,たとえば「た易い」のように使いますが,そう解消すると余韻がありません。また,「〜は」を2回使うことにもなり,歌人としては避けると思います。
 「それ」という代名詞をポンと入れるのも当時としては斬新な表現だったと思います。しかし,句切れの進化系とも言えます。


 私の思いもしていなかった、「それ・はた・消えぬ」だったんですね・・・

 新潮文庫



 しかし、kindle(電子書籍)版は無料です。

posted by kingstone at 06:59| Comment(3) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 この歌の場合「紫」を何ととらえるかで解釈が違います。一般的な節は晶子自身(臙脂紫ですし),あるいは与謝野鉄幹(「紫」という歌集があるそうです。私は知りません)のいずれかが有力です。
 私は平安女流歌人に詳しい与謝野晶子ですので「紫」は紫式部と自身の掛詞なのだと思います。つまり「紫式部の描く源氏物語のような理想の恋物語を実現したい私なのに,雲のようにちぎれちぎれで消えていってしまう。まだまだ修行が足りない!」みたいな歌だと私は解釈します。たぶん鉄幹をモノにするだけではダメで自分なりに描いたイメージどおりにならないということなのでしょう。「理想」という明治以降の言葉を使うことも「オシャレ感覚」「今様」だと思ってのことかと思います。
Posted by もずらいと at 2013年10月19日 08:26
もずらいとさん、どうもです。

>「紫」は紫式部と自身の掛詞なのだと思います
>「理想」という明治以降の言葉を使うことも「オシャレ感覚」「今様」だと思って

なるほど!
めっちゃわかりやすい。
「理想」とかの語感に近いのは今ならカタカナ言葉になっちゃうのかな。

ところで「それはた・消えぬ」か「それは・た消えぬ」か読み方も意味もわからないので、またお時間があったら教えて頂けたらありがたいですm(_ _)m
Posted by kingstone at 2013年10月19日 09:18
>「それはた・消えぬ」か「それは・た消えぬ」か

 それ・はた・消えぬ でしょう。枕草子一段で「風の音,虫の音,はた言ふべきにもあらず」の「はた」です。意味は「やはり」。
 「た」は語調を整える接頭詞として,たとえば「た易い」のように使いますが,そう解消すると余韻がありません。また,「〜は」を2回使うことにもなり,歌人としては避けると思います。
 「それ」という代名詞をポンと入れるのも当時としては斬新な表現だったと思います。しかし,句切れの進化系とも言えます。
Posted by もずらいと at 2013年10月19日 09:32
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