※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2013年10月06日

映画「マリー・アントワネットに別れをつげて」



 マリー・アントワネットの朗読係の召使いから見た1789年のフランス革命。

 だいたい「朗読係」がいるってのがすごいよな。
 ひょっとしてマリー・アントワネットは文字が読めなかったのか?と思いましたが、そんなことはなかったです。演説も書いてたし、革命が起こったら書類を選んで焼却してたし。

 で、この朗読係さん、後半で明かされるけど、孤児であり、もう王妃が大好きで、もちろん王妃を高貴な人としてあがめてるし、忠誠心が強く、妃のためなら、たとえ火の中水の中、という感じ。そしていくら妃に認められるような仕事であっても、それよりはおそば近くにいたい、と思っている。

 最後、王妃からポリニャック夫人(このあたりの登場人物の名前は「ヴェルサイユの薔薇」ファンの人は詳しいらしい)の逃避行のさいの「身代わり」を命じられる。

 で、遠く離れていく時の感慨として「私が何者でもなくなる」というのが出てくるのですが・・・

 ひょっとしたらこれ、「保守」思想ではなく「右翼」思想の根幹かもしれない。
 高貴な存在があってこその自分。

 そういやルイ16世が「民衆が権力まで望むとは思わなかった。権力は世襲で(しかたなく)ついてくるものだと思っていた」みたいな感慨を述べるところがあります。なるほどな・・・

 またルイ16世とか、自分がどれだけの「権力」を持っているか、「富」を持っているか、なんて実際にはわからないもんだろうなあ、と思います。中にいて、比較するものが無ければ。

 またWikipediaのマリー・アントワネットの項目を見てみると「浪費家」とかのイメージとかとは逆で「儀式の簡素化」とかをした人だということが書いてありました。しかし、そのために既得権益を持つ人から恨まれた、と・・・ありそうなことです。

 また1789年にすぐに捕まってギロチンにかけられたのかとと思っていたら、死刑にされたのは1793年なんですね。4年も後のことだったんだ・・・
ラベル:映画
posted by kingstone at 22:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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