曇りです。
ー「種田山頭火と尾崎放哉」徳間書店よりー
生死の中の雪ふりしきる
山頭火 1928年(昭和3年)
山頭火は行乞の途次、1928年(昭和3年)9月に小豆島へ渡り、放哉のいた西光寺に五泊して墓参している。その後、岡山県東部から広島県東部にかけて山間部を行乞、山陰は米子、松江、出雲大社あたりまで巡っている。この句はその間、昭和3年から4年にかけての冬の句で、どうも山陰でつくった感じがする。
山頭火は、行き先とか明確に決まっていたのだろうか?また地図は詳しいのを持っていたのだろうか?そういうものが無ければ、みとおしがたたず、しかも雪がふってきて、疲れて寒い・・・という状況なら「このまま死ぬんじゃ」と思えるような状況もよくあったのじゃないかな。
ラベル:挨拶 天気 俳句
私は「せいし」と読んでました。
でも、なんか「生」な「どぎつい」言葉がごろんと出てくるので、違和感があります。
そっかあ・・・