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2013年07月16日

7月16日(火曜日) 生死の中の雪ふりしきる(山頭火)

 おはようございます。

 曇りです。


ー「種田山頭火と尾崎放哉」徳間書店よりー

生死の中の雪ふりしきる
山頭火 1928年(昭和3年)

山頭火は行乞の途次、1928年(昭和3年)9月に小豆島へ渡り、放哉のいた西光寺に五泊して墓参している。その後、岡山県東部から広島県東部にかけて山間部を行乞、山陰は米子、松江、出雲大社あたりまで巡っている。この句はその間、昭和3年から4年にかけての冬の句で、どうも山陰でつくった感じがする。

 山頭火は、行き先とか明確に決まっていたのだろうか?また地図は詳しいのを持っていたのだろうか?そういうものが無ければ、みとおしがたたず、しかも雪がふってきて、疲れて寒い・・・という状況なら「このまま死ぬんじゃ」と思えるような状況もよくあったのじゃないかな。


posted by kingstone at 08:11| Comment(4) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 自由律詩の弱点あらわみたいな詩ですね。「せいし」なのか「いきじに」なのかわかりません。
Posted by もずらいと at 2013年07月16日 20:49
もずらいとさん、どうもです。

私は「せいし」と読んでました。
でも、なんか「生」な「どぎつい」言葉がごろんと出てくるので、違和感があります。
Posted by kingstone at 2013年07月17日 00:17
 昭和3年なら、死は今よりはるかに身近でしたから、「どぎつい」という感覚はなかったのでしょう。
Posted by もずらいと at 2013年07月17日 05:19
>昭和3年なら、死は今よりはるかに身近でしたから

そっかあ・・・
Posted by kingstone at 2013年07月17日 08:23
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