私はこんなことをその時つぶやいています。
それとよく特別支援学校や特別支援学級にあるのは壁に無駄な装飾がよくあること。色紙テープをわっかにしてつないだのとか・・・(まあ作業の成果の展示なら期間限定で意味ありますが)
私自身で言うと実践動画「自閉症のお子さんとの授業の失敗例1997年」の壁面。これ教師の自己満足。(もちろん教師も自己満足できる部分があっていいのですが、子どもの興味関心に関わっていないすね・・・)
で、子どもにさわらせないために上からビニールかけてるし・・・
1998年からはこんな飾り、やめました。できるだけ必要な情報提示のみにするようこころがけました。
実際の写真をご覧下さい。
自閉症のお子さんとの授業の失敗例1997年6月(自閉症について本格的に学び始めてから2か月で、まだTEACCHもよくわかってなかった頃)
自閉症のお子さんとの自立課題学習と1対1の学習1999年1月長編(1998年9月からクラス全体でTEACCH的に取り組み半年後、一定の成果が出た頃)
97年の壁面を見て下さい。「美しい」ですね。6月、梅雨の頃だし、池に蓮の葉が浮いています。黄色い花も咲き、草も緑。ひょっとしたらどこかにカエルもいるかもしれません。表現方法もこっています。花は黄色いビニールテープを裂き束ねたもの。草もビニールテープを裂いたものかな。きっと先生方(私は作った記憶はないのですが)、誰か別の先生が作ったのか、ひょっとしたら複数担任全員で作る日を決め協力して1時間とかで作ったものかもしれません。
こういうの、小学校なら学校によっては校舎の代表掲示板のところを毎月輪番で先生方が掲示を作ったりします。そういう経験をしている先生だとすぐに思い浮かぶでしょう。またこういう壁面掲示の事例集もあったりするのじゃないかな。(最近だと代表委員の掲示係の児童にやってもらう場合もあるかな?)
これは意図としては「美しい環境で学んでもらおう」だと思います。
そして、特別支援学校だとよくおられる「こまかい物が目の前にあるとちぎったり、引っこ抜いたりしたくなる」お子さんから作品を守るために、厚い固めの透明のビニールで覆っています。配慮が行き届いていますね。
本当にそうでしょうか・・・
まず「誰にとって」美しいのでしょうか。たいていの親御さんなら教室に入った瞬間、「ほほきれいだな」と思うかもしれません。(実は私は全然美しく感じないのですが、そこはまた「美とは何か」みたいな問題になってきますけど・・・)さて子どもたちは???
で、それが子どもたちには「周囲の者としては触って欲しくなくて」子どもたちが直接触ることができないようになっている・・・
直接触ることができないならどこかに片付けておけばいいじゃないか、と思いますが。(私の書いている意味、わかりますか?)
またこの時の授業の配置を見て下さい。
部屋に入った時に「興味をひかれる」かもしれませんが、もしこの机と教師の配置だと、教師の方を向いて欲しい時は壁面に興味を持ってもらったらいけないんですよね。まあこの授業そのものでは注意を壁面に逸らすことは無かったわけですが。でも基本的に「余計なもの」な気はします。
そしてこの壁面掲示は「児童作品」でなく「教師作品」です。(児童作品なら一定期間の掲示に大きな意味があると思います)
あと、「誰のための」ものか?これ、かなりの割合で「学校にやって来た大人のため」のものじゃないか??
この画面は知的障害養護学校でのものですが、私がそれ以前に肢体不自由養護学校にいた時代にこんな光景を見ました。
粘土作品を作りました。それを部屋の隅で乾かしていました。夕方クラスを通りかかるとある「優しく愛情豊で熱心な先生」(注・これ皮肉じゃないです。ほんまに素敵な先生なんです)が、一生懸命手を入れてはりました。私は何も声をかけられず、そそくさと見つからないよう、逃げるようにその場を去りました。
う〜〜ん、なんで「そのままでいい」にならないんだろう・・・
これもたぶんは親御さん向けに「美しく」見えるように努力されたのでしょうね。
また、肢体不自由養護学校で重度重複心身障害児が主となる授業では先生同士・大人同士しかしゃべれず、もう大人同士の会話というか、冗談というか、そういうものしかないこともあります。これはある意味仕方ない部分もあるかもしれません。発話もなく、表情の変化もなく、身体の動きもないお子さんのみに話しかけ、時間を過ごすには耐えられない方も多いと思いますから。(これも「教師の都合」ではあるのですが、そこは仕方ないのじゃないかなあ・・・と)
しかし、肢体不自由でもそれ以外のお子さんが主になったり、知的障害養護学校なら、それぞれのお子さんへの受容性コミュニケーション手段を考え、また表現コミュニケーションの方法を考えれば、もうそんな大人同士のやりとり(特に冗談)の必要はどんどん減っていきます。それを私は体感しています。(注・もちろん「次にやることの指示・確認」「気づきの共有」などはおおいにあっていいし、それが笑いを誘うこともよくあります)
でも、その場をなごまそうとして「大人向けの冗談」しか言ってない方も多いんじゃないかな・・・(それもアドリブでなく、最初から授業の中に組み入れられて)
いったい「誰のための」授業時間だろう・・・
さて99年の壁面を見て下さい。
いっさいの装飾は消えました。そして子どもたちにとって必要な情報のみが掲示されています。
・それぞれのお子さんの机の前に、お子さんごとの自立課題学習の手順
・右のほうに掃除の手順
こちらの方が「美しい」と言う気はありません(^_^;)
私に「美しさ」を求められても無理、という自覚があります。私、肢体不自由養護時代から仲間うちから「ガムテープの魔術師」と呼ばれていました。これは「皮肉」です。目の前の子どもに必要なものがあれば、板切れとか、ダンボール箱とかにガムテープをペタペタ貼って作ってしまうからこう呼ばれたわけですが、どっから見ても美しくない。当時syunさんに「あんなあ、子どもも美しい物を使いたいと思とんよ」とよく言われていました。私が美しく作る技術を身につけるより(たぶん、それには相当な時間がかかるか、やっても無理か、どちらかだと思います)とにかく明日の実践のために形にしちゃえ、と思ってました。
しかし「誰を向いて」掲示がされているかは明白でしょう。
子どもたちも、自由に触れますし。で必要なら触り、必要でないなら触りません。
もちろん、この手順書の下地の帯だとか、1枚1枚のカードをセンスのある方なら何十倍も美しくすることは簡単にできると思います(^_^;)
あっ、それから大事なことは97年の教室では親御さんの見ていないところで「愛情豊で熱心な」先生の一部から「暴力」半数くらいの先生から「威嚇」の指導が行われており、99年の教室ではそれは一切なかった、(ただし、私の教室外ではまだまだ存在してました)ということ。ここ大事かもな。(壁面掲示とは直接関係は無いのですが、大事なことが何かはわかってなかったといういこと)
それから99年の教室環境は、これ以後またどんどん変化していきます。
この画像の時は、手順の下地にゼムクリップでカードを挟んでいますが、クラスの他のお子さんでゼムクリップを口に含んでしまうことが起きたので、全部マジックテープに変更しました。
また97年の夏休みにsyunさんの勤めていた知的障害者更生施設を訪れた時、壁に貼ったスケジュールを見なかったのですが、それは他人のスケジュールをはがしてしまう方がおられるため。しかし全員、個別のスケジュールを持ってはったのでした。これに私は気づけず、syunさんも教えてくれず(たぶんこの時点では、syunさんにとってはそんなにたいしたこっちゃない、他人に言ってあげるようなことでもない、くらいに思ってはったのかもしれません)これでたぶん私はえらく大回りしてますね・・・でももちろんそれは質問できなかった私の責任。
で、やっと質問できたのが、2011年3月でした。その時の実際の音声の一部。字幕つき。
自閉症の人が多い成人施設で一人一人自分持ちのスケジュールを持つ(1997年段階)
これはおめめどうでCD化した時のエントリ。
「自閉症の人が落ち着いて暮らしていた施設の秘密」めっちゃ怪しいサプリな題(笑)
ラベル:特別支援学級 特別支援学校