それから「行動マネジメント」については、最後の最後の15分間だけ。つまりほとんど新たな話は無いってことです。
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TEACCHトレーニングセミナー報告
1999.8.23〜27 kingstone
このトレーニングセミナーは、基本的に
講義
↓
子どもの評価
↓
構造化しての実践
↓
再評価
↓
再構造化しての実践
↓
まとめと報告
という流れで行われた。
1日目 講義「自閉症の特性」「アセスメント」「構造化された指導」
「ペアレンツトーク(保護者との話し合い)」保護者に来て頂いた
2日目 実践「課題の構造化」
講義「コミュニケーション」
3日目 実践「コミュニケーション」
講義「社会性/レジャー」
4日目 実践「社会性/レジャー」
講義「自立性の練習」
5日目 実践「地域への外出」
講義「行動マネージメント」「TEACCHの適用」
常に言われたのは
「自閉症の特性から考える」
「ひとりひとりに合わせて考える」
「常に(小さい部分でも)自立を目指す」
ということである。
このトレーニングセミナーでは、ノースカロライナTEACCH部のスタッフとアメリカのTEACCH部に留学したことのある日本人スタッフがトレーナーとなった。我々研修生はトレーニーと呼ばれる。そして参加してくれる自閉症の子どもや保護者が「教師」である、という位置づけになっている。子どもたちは、年齢・知的レベルなど様々な子どもたちが参加してくれた。内容については資料にまかせるが、講義の中では子どもたちと大人たちの様々なやりとりがあり、笑い声が絶えず、またスタッフの子どもたちとのやりとりは「美しい」と言ってもいいような印象を受けたことを付記しておく。
PDFファイル(ダウンロードできます)
>笑い声が絶えず
そういう研修が有意義だとはちょっと思えないんですけど。「分かったつもりになる」「盲信する」危険の方が高いような気がします。自己啓発セミナーのように。
最近、血液型占いを言われ続けることで、A型の人は几帳面に振る舞い、B型の人は自分勝手に振る舞うようになるという説のごとく、自閉症の人を「自閉症らしく」療育者が育ててしまっているとよく思います。
>>笑い声が絶えず
>そういう研修が有意義だとはちょっと思えないんですけど。
今となっては、私もどの部分が「笑い声が絶えず」だったかは覚えてないんです・・・(^_^;)
でもたぶんお子さんとのやりとりでしょうね。
講義は英語だし、あんましウケる要素は無かったですから。
しかし「笑える研修」でも有意義なものはあると思いますが。
>「自閉症らしく」療育者が育ててしまっている
逆に「自閉症らしくなく」育てるのも間違ってるような気がします。
それぞれ「その人らしく」育てばいいだけで。
そりゃ物事には例外がありますから、あるでしょう。しかし、普通「笑い声が絶えず」
という内容で知的好奇心が高まるとは思えません。
>逆に「自閉症らしくなく」育てるのも間違ってるような気がします。
>それぞれ「その人らしく」育てばいいだけで。
これはディベートです。「その人らしく」を他人が考えるのはかなり難易度の高い話
です。また、「その人らしく」が「私は幼女を見たら服を脱がせたい」「私は全裸で町
中を歩くと安心する」「どうも1日1回は他人をなぐらないと心が落ち着かない」なんて
ものは自己実現してはいけません。
人はその地に生まれて、その地で過ごすのならその地の慣習に従うように育つのが、
一番ストレスはたまりません。違和感があるのならその地を離れればいいのです。食に
こだわりのある自閉症児者が教条的なイスラム国家で暮らすのは難しいでしょうし。
>「その人らしく」を他人が考えるのはかなり難易度の高い話です。
ええ、だから、本人に考えてもらえる(感じてもらえる)ようにしたいわけです。
>「私は幼女を見たら服を脱がせたい」
>「私は全裸で町中を歩くと安心する」
>「どうも1日1回は他人をなぐらないと心が落ち着かない」
これはもずらいとさんに限らず、私と対話してる人はどうも私が上記のようなことを「自己実現させよう」としていると考えはるようです。まあ、なぜそうなのかはわかりますが。
ですんで、「個別の相談があるなら一般論で話すのはやめてね。具体的なある人のこと、というのでしようね。できれば動画があるといいな」ということを常に言ってます。