どうやったら小商いがうまくいくかの実用書かと思ったら違ってた。
平川克美さんって、リナックスカフェって会社をやってはってシステム開発やらWebマーケティングやらしてはる方だって。
立論には私は賛成しかねる点は多々あるんだけど、結論としてはおおいにうなづくところもあるな。
「縮小均衡」と「今、ここ」を大事にすることとか。
マーシャル・サーリンズという経済学者が(あのミルトン・フリードマンのいるシカゴ大学に)いて、未開社会の狩猟民の生活は、貧しくもなければ、劣っているわけでもなく、むしろ豊かさにあふれている、というような意見を述べてはったとか。
まあ、これはその通りだと思うけれど、それは例えば「高率の出生時死亡率」とか「簡単な病気ですぐ死ぬ」とかをあきらめるっていうか、ご本人たちはそれを「あきらめ」とも思わず、何かの「物語」で「納得」しているからこそ、の話なんだと思うのよね。
また著者の言う、「縮小均衡」もその通りで、例えばよく言われる昭和30年代の好日的な幸福感は「(みんなが)貧しいがゆえ」にあったものだ、というのも本当で、そこで経済成長をしていろいろなことが「良く」なっていったのだけど、既にそこには「貧しさ」という条件が無くなってしまってるので、回帰することはできないものなのだろうと思う。(実際、私の子どもの頃、友達の家で、トイレの無い家とか、(町なのに)水道の無い家とかあった)
著者は「将来への不安」が少子化の原因では無いと書いてはるけど、それはどうかなあ・・・子どもを育てていくことに不安があると子どもが作れない、というのは本当だと思う。私ももう一人子どもが欲しかったけど、あきらめたもんな・・・ウツで不安が強くなってたし・・・また一人ひとりのこどもにかかる費用とか考えるととても子どもを作る気にならない、ってのも本当だと思う。
映画「乱れる」加山雄三と高峯秀子が恋愛するという話らしい。これは見てみたい。
著者が「商店街に小さな帽子屋があり、その商売が成り立っていた時代」について書いているのは面白い。そういや昔の人って帽子をよくかぶっていた。それは「大人である」ことの証となっていた、というのはなるほど。黒澤明「素晴らしき日曜日」に出て来る青年も貧乏ではありながら帽子を被りスーツを着ていると、確かにそうだ。それはある意味、若い人でも大人にならざるを得ない社会であったと。
なお著者のお父さんは埼玉から出てきて大田区で町工場をいとなんでいたが、人手不足で地元や埼玉の専門学校や聾学校に求人に行ってはったそう。
そして昭和30年代には「余暇」という概念は無かったと。1973年の内閣府国民生活審議会で「レジャーが生活のあり方を規定する重要な要素となってきた」という記述が出てくる。週休2日制が実施し始められたのが1980年代半ばから。これが勤労者の労働観を大きく変えていったと。
ふむ、少なくとも学校では1996年7年でも完全な週休2日ではなかったな。土曜日の授業が終わってから学校を飛び出して大阪や京都の講演会を聞きに行ってたし。2001年くらいに完全週休2日制になったんだったっけ?最近土曜日を授業日にする動きが出てきたが、10年ほどの間だけだった、みたいになるかな。
なお池田勇人の高度経済成長のプランナーは下村治氏で、彼の実現した成長戦略では、他の国にはない特徴があり、それが「貧富の格差や都市と農村の格差が小さくなった」ということだ、と。
京浜精密工業って会社はやはり大田区のひとり親方の工場から出発し、今は多くの車メーカーと取引しているのだけど、ここは定年がない会社なんだって。そういうベテランの暗黙知を生かそうとしてると。(特別支援教育で考えると・・・さてそういう暗黙知をもったベテランがどれだけいるか・・・)
ソニー創業者、井深大の設立趣意書に「経営規模としてはむしろ小なるを望み」ってある。
「計画と無計画の間」ふむ。なかなか面白い題だ。最近の私の興味関心にも近い。