※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2012年10月26日

10月26日(金曜日)  急水上打毬子

 おはようございます。

 めっちゃいい天気です。
 朝晩フリースが手放せなくなりました。


ー秋月龍a著  一日一禅より  kingstoneちょい変えー

 ある僧が趙州和尚に問うた。
僧 「生まれたての赤ん坊にも六識がそなわっていますか」
趙州「急水上打毬子(急水上に毬子(きゅうす)を打(た)す。急流の水の上に毬子(まり)を投げるようなものだ)」
 この僧は後で投子和尚に問うた。
僧 「趙州和尚の『急流の水の上に毬子を投げる』というあの言葉の意味は何でしょうか」
投子「一念一念、流れて停まらないということだ」


 ふ〜む、この後、秋月さんは「深い川の、一見流れていないように見える流れにも、まりを投げ込めば早く流れていく」ということを解説してはりますが、最初に「急水」となっている以上、見た目も急な流れでないと解釈にならないんじゃないかなあ。

 「識」はWikipediaによれば「対象を分析し分類して認識する作用」ってことで「認知できるもの、あるいは仕方」みたいなことか。般若心経にも出てくる「色・受・想・行」とか「眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識」とか出てくるもんな。

 これ「赤ちゃんもちゃんとわかってますか」「そんなもん急流に毬を投げ込んだらものすごい速さで流れていくのと同じくらい当たり前のことやんか」という対話じゃないか??

 明日は、丹波篠山で「保育・教育セミナー」
 私は「自閉症の特性と自立課題学習をどう周囲に伝えたか」について語ります。




posted by kingstone at 07:54| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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