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2012年10月05日

聯合艦隊司令長官 山本五十六 半藤一利著



 半藤一利さんの語りをまとめた本。

 著者は長岡の出身。でまた山本五十六は長岡の出身。あとがきで「山本五十六贔屓を自認し標榜しているわたくし」と書かれている通り、まあそのバイアスは強烈にあるでしょうけど、面白かったです。

 まず著者の祖母が「新政府は泥棒じゃて」と著者によく語っていた、というところから始まります。そして戦争に導いた人たちは官軍である薩長が多く、それを止めようとした人たちは賊軍とされた地方から出ている、と。

 ひょっとして、今でも長州閥とかあるんだろうか?岸信介・佐藤栄作・安倍晋三とか。でも薩摩とか土佐は聞いたことが無いな。

 戦争を終わらせた時の首相、鈴木貫太郎は海軍出身で昭和11年(1936)の2・26の時に襲撃され被弾したが生き残った人。しかし著者も書いてるけど要人暗殺が「英雄的行為」とみなされ実行されていた時代であると。確かに殺されたのが原敬・浜口雄幸・井上準之助・団琢磨・犬養毅・斉藤実・高橋是清、狙われたのが牧野伸顕・一木喜徳郎・湯浅倉平・西園寺公望・鈴木貫太郎・・・でこれらの人は穏健派と言われるような人たちばかりであったと。「穏健派」というより「軍事費を削減しようとした人たち」かな?

 そして世論はこれを是認したと言います。暗殺を望む声や動きが世の中にあったと。
 そして昭和14年(1939)5月末には「三国同盟」に反対していたという理由で山本五十六が「やられて当然」という冷たい目が向けられていた、と。

 この頃、反イギリス熱が世間では高まっている。平沼騏一郎が天皇に「取り締まりは困難である」と言い、また平沼が木戸内務大臣に相談すると「緩めるだけ緩めて、そしていつか思い切り弾圧する」と言いながらも「どうも陸軍から金が出ているんでやりきれん」と言ってたそうな。

 う〜ん、今の中国での「反日運動」そして日本の「反中国運動」についても想像をめぐらせてしまいますが。日本ではどこからお金が出ているということはなさそうな気はします。しかし中国でも日本でも「生活」とか「今後の見通し」「(将来への)希望」「自尊心」とかの問題で「他国を排撃しろ」という議論が起こってるところがないか・・・

 昭和14年8月11日、海軍軍務局長井上成美が省内の非常警戒を命じた。三国防共協定への陸軍(推進)との意見の違いから一触即発の事態になっており陸軍×海軍の戦闘になるのを警戒して。そんなことがあったなんて知らなかった。この時井上の言った言葉。

「いいか、水と電気を切られると、省内籠城の三千人が水洗便所を使えなくなるぞ」

ってことは当時既に水洗便所だったんだ。

 なお井上は当時ベストセラーになっていたヒトラーの「吾が闘争」について海軍内に文書で「ヒトラーは日本人を想像力の欠如した劣等民族と見ている」と注意喚起を促していた。しかし親ドイツ派の将校が「隅から隅まで読んだがそんなこと一言も書いてない」と言うと、井上に近い同期生が「井上さんは原書で読んでるんだよ」と言ったそうな。つまり日本語版ではカットされていたと。

 しかしこの時の緊張は8月に独ソ不可侵条約で幕切れとなる。(この後、独のポーランド侵攻)

 昭和15年(1940)11月山本は海軍大学校で図上演習を行い蘭印に進出すれば対英米戦必至(だからやるべきでない)という結論を出している。(図上演習ってシミュレーションやな)

 日露戦争の時、(山本は少尉候補生として参加)ロシア海軍ウラジオ艦隊が太平洋上から日本に接近した時、半狂乱となった民衆を山本は見ていた。第二艦隊司令長官上村彦之丞中将の私邸は暴徒に襲われしょっちゅう投石された。
 またポーツマス講和条約に不満をもつ群衆が日比谷で焼き討ち事件を起こした。
 明治38年(1905)9月5日から6日にかけて、東京では交番の7割以上に火がかけられ、民家38、教会13が焼かれ、死傷者は警官・消防夫など494人、市民17人が死亡、負傷者511人。(警官・消防夫の死者がめちゃ多い)

 昭和16年12月1日より6割の節電体制。永井荷風の「断腸亭日記」にも記述がある。

 昭和16年(1941)12月8日未明真珠湾攻撃
 午前7時の臨時ニュースで戦争が始まったことが告げられると「非合理な感動のほとばしり」が起こった。
小林秀雄「大戦争が丁度いい時に始まってくれたという気持ちなのだ」
亀井勝一郎「勝利は日本民族にとって実に長いあいだの夢であったと思う。・・・維新以来我ら祖先の抱いた無念の思いを、一挙に晴すべきときが来た」
横光利一「戦いはついに始まった。そして大勝した。祖先を神だと信じた民族が勝った」

 この本には書かれていませんが、高村光太郎も「吉報到る、吉報到る」という詩を書いてたような。

 この頃、ラジオの普及率がおよそ5割になっており、「軍艦マーチ」や「敵は幾万」などで戦意を高揚させた。昭和17年3月半ば。日比谷公園に「軍艦マーチの碑」を作るというような話があるのを聞いて山本五十六の言ったこと。

「人は真剣になると自然に口数が少なくなるものだ。おおぜいの人数か集まったところでも、真剣の気みなぎるときには寂として人のざわめきさえもなくなる。国の中でもおなじこと、報道などは静かに真相を伝えればそれで充分だ。太鼓をたたいて浮きたたせる必要はない。公報や報道は絶対に嘘を言ってはならぬ。嘘を言うようになったら戦今は必ず敗ける。報退部の考え方はまったく間違っていると思う。輿論指導とか国民の士気操作とか口はばったいことだ」

 昭和17年(1942)4月18日午後零時10分。東京はドゥリットル空襲(B25の16機編隊)に襲われる。

 昭和17年5月。この頃、アメリカは日本の暗号解読に成功していた。暗号で使われるAFがミッドウェーではないかと「ミッドウェーでは蒸留装置が故障で真水に不足している」と偽情報を流したところ、日本が「AFでは、いま真水が欠乏している」と東京に打電したので、ミッドウェーが狙われていることを知る。

 昭和17年6月5日。ミッドウェー海戦。大負け。
 ここから報道は「嘘」となり、また天皇にも偽造された戦果を奏上するようになる。

 しかしミッドウェーでもガダルカナルでも日本軍は「今起きて困ることは絶対起きない」という希望的観測に基づいて動いていた。

 昭和17年12月16日。ラバウルで図上演習の結果ガ島奪回不可能、撤退やむなし、という結論。

山本「正しいことを言うのは、嘘をつかない、ということよりもむずかしいものだ。中央にはだれも言い出せる者がいないのだろう。私が悪者になって、陛下に撤退を申し上げてもいい」

 昭和18年(1943)4月18日。前線実視に一式陸攻で向かう途中P38に撃墜され死亡。

 下の写真はいずれもWikipediaから

一式陸場攻撃機

スクリーンショット(2012-10-05 10.50.09).png

P38

スクリーンショット(2012-10-05 10.49.31).png

 昭和20年8月15日(9月説もあるな)敗戦。

 昭和の戦乱での死者。将兵・軍属の戦死240万、負傷100万、一般人の死者70万。その9割は山本死後。

posted by kingstone at 09:05| Comment(4) | TrackBack(1) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 山本五十六に限らず,陸軍の山下奉文もそうでしたが欧米留学・派遣経験者は「国力の段違いな米国と戦って勝つはずがない」ときわめてまっとうな見識を持っていました。
 見識がなさ過ぎたのはむしろ海軍で,元々対米開戦は米国が原油の輸出停止をしたことで「あと2年で聯合艦隊はただの鉄塊になってしまう」と対支那戦争で余力のなく気乗りのしない陸軍を強引に誘い込んで始めたのです。ですから,当然「原油の確保」が戦略上の筆頭になるはずなのですが...。バレンパンの精油所を占領した時点では内地に原油を輸送する手段も決まっていなければタンカーの増産も決まっていなかったのです。おまけに「輸送船の護衛なぞもののふの任にあらず」という時代錯誤感覚で数少ないタンカーは米国の潜水艦にバンバン撃沈されました。潜水艦隊や駆逐艦隊が通商船攻撃をしないというのは他国ではあり得ない話です。もし,開戦当初から英米輸送船団に対して徹底攻撃をしていたら,米国が対ドイツに力をさく余裕がなくなり,英国とは講和できた可能性が,少ないですが,ありました。
Posted by もずらいと at 2012年10月05日 20:02
もずらいとさん、どうもです。

|欧米留学・派遣経験者

この本には若い頃の事は書いて無かったのですが、Wikipediaを読むとハーバードに留学しておられたのですね。

|対支那戦争で余力のなく気乗りのしない陸軍を強引に誘い込んで

あれ?この本に寄ると一貫して反英米路線を取り、対中国以外に、インドシナ半島侵攻・対英米妥協せずの路線を取り、太平洋戦争開戦やむなきようにしたのは陸軍という感じにとれましたが・・・(しかし米内光政・山本五十六・井上成美などが不拡大路線だっただけで、海軍の中もほとんどは拡大派であったようですが)



Posted by kingstone at 2012年10月05日 20:35
 仏印進駐自体が「油田を確保したい」海軍の要請によるものです。陸軍は支那で手一杯だったのです。ですからその本は間違っています。米国が対日原油輸出を禁止してから海軍主導で戦争やむなきになったというのが真実です。陸軍はドイツと手を組んでソ連を挟撃するつもりでした。
 南方にも目を向けてはいましたが,それは支那が簡単に軍門に下ると考えていた1935年頃の話です。
Posted by もずらいと at 2012年10月05日 22:01
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Posted by 時計店 at 2013年07月27日 20:04
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『聯合艦隊司令長官 山本五十六』 半藤一利
Excerpt: 「半藤一利」の『聯合艦隊司令長官 山本五十六』を読みました。 [聯合艦隊司令長官 山本五十六] 「半藤一利」作品は『戦士の遺書―太平洋戦争に散った勇者たちの叫び』以来なので、2年半振りくらいですね。..
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Tracked: 2013-05-29 21:56