※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2012年08月31日

8月31日(金曜日)  対揚深愛老倶胝

 おはようございます。

 曇です。



ー秋月龍a著  一日一禅より  kingstoneちょい変えー

 倶胝和尚(唐の時代)ははじめ一庵に住していた時、実際という名の尼僧の訪問を受けた。彼女は庵についても笠をとらず、錫杖をもって倶胝のいすのまわりを三遍回って言った。
実際「一句言い得たら笠をとろう」
 三度尋ねられても倶胝は答えられなかった。実際が話にならぬと立ち去ろうとした時
倶胝「日もだんだん暮れてきた。まあ一晩宿っておゆきなさい」
実際「一句言い得たら宿りましょう」
 倶胝は答えられなかった。
 実際は立ち去った。
倶胝「私は男子と生まれて男子の気概が無い」
 発奮して大事を究めようと行脚に出ようとした。しかし夢告で、近く肉身の菩薩が来る、と聞いて待っていると天龍和尚が来た。お迎えして上記のエピソードを告げると、和尚はただ指を一本立てた。これを見て倶胝は忽然と悟った。その後、倶胝は何を聞かれてもただ指を一本立てた。それで一生を通した。
 雪竇(せっちょう)和尚(980 - 1052。北宋の時代)は
「対揚深愛老倶胝(ただ一指頭によって応対して宗旨を挙揚したすばらしさ、私は深く倶胝を愛してやまぬ)」
と語った。

 倶胝で検索をかけていたらこんなエピソードも。

 倶胝が住職をしている時、町の人が弟子に「お前のところの和尚さんはどういう法を説くのか」と尋ねたら、弟子は和尚の真似をして一本指を立てた。この話を聞いた倶胝は弟子の指を斬った。弟子がギャッと逃げた時、倶胝が声をかけた。弟子が振り向くと倶胝は指を一本立てた。その時弟子は忽然と悟った。

 って、そりゃ無茶苦茶やあ・・・

 おめめどうは明日は山口県立大学での講演会「自閉症児の保護者や支援者に伝えたいこと」
posted by kingstone at 06:57| Comment(2) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 天龍和尚の「和尚はただ指を一本立てた」は実は「Fukin'」で,それを倶胝和尚が勘違いして悟ったという話だとしたら面白いですね。
Posted by もずらいと at 2012年08月31日 19:17
もずらいとさん、どうもです。

|実は「Fukin'」で,それを倶胝和尚が勘違いして悟ったという話だとしたら

あはは、まじにその可能性、ありますね。
落語「こんにゃく問答」の世界っす(^^)
Posted by kingstone at 2012年08月31日 19:24
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