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 あくまでも、私個人の意見です。

2012年08月07日

8月7日(火曜日)  不立文字

 おはようございます。

 いい天気です。


ー秋月龍a著  一日一禅より  kingstoneちょい変えー

 今日から講談社現代新書下巻に入ります。(先日、アマゾンのマーケットプレイスで購入)

不立文字(ふりゅうもんじ)

 禅の真理は「以心伝心」で、師の赤心と弟子の赤心とがぴたりと呼応してはじめて伝わる。そこで禅者はけっして文字にたよらず、しかも文字を自由に使ってゆく。


 そっかあ。不立文字は「文字でなんか伝えちゃいかんだろう」という意味かと思っていた。「たよらず、しかも文字を自由に使ってゆく」か。なら道元禅師が「正法眼蔵」を書くのも納得できるわけだ。ほんと「只座れ、本など書くな」という意味かと思っていた。

 やっぱり「こだわらない」が大事なんだよな。でもってそれは「こだわる」と一緒になって「ある」

posted by kingstone at 08:58| Comment(2) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 「立」というのは英語のstandに近い概念で,「しっかりと(だからといって寝っ転がっているのではなく,それよりは不安定なはずの)立っている」ものを目に見えるものやそういう例えのものを指します。
 この場合,論語の「三十而立」,「三十にして立つ」とほぼ同様です。「三十歳で学問の基礎が確立した」という意味ですが,元文は上に否定の「不」がありますから,

 「確立したものと思うな」「絶対化するな」

という意味になります。
Posted by もずらいと at 2012年08月07日 16:24
もずらいとさん、どうもです。

いやあ、勉強になる。

|「確立したものと思うな」「絶対化するな」

なるほど。で「使っちゃいけない」とかではなく、便利に使える分には使っていいんだよ、みたいなのも言外にあるわけですね。いろんなものに言えそうですね。例えば「これがTEACCHだ」とか「これがおめめどうだ」とある時誰かが言い、それを学んだ人の心のあり方だとか。

不立TEACCH
不立おめめどう

Posted by kingstone at 2012年08月07日 18:40
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