いい天気みたい。また暑くなりそう。
ー秋月龍a著 一日一禅より kingstoneちょい変えー
首山和尚は竹篦(竹製の如意。警策のことかと思ったが、下を見るとそうでもあり、何か別の物をさすこともありそう)を握って門弟たちに示して言った。
「若換作竹篦則触 不換作竹篦則背(もしこれを竹篦と呼べば触れるし、竹篦と呼ばなければ背く)
まあ言ってみよ、これを何と呼ぶ」
いやあ、実は「触れる」「背く」の意味がいまいちよくわからない・・・
竹篦 禅家の用いる法具の一種。弓を半分に切ったような,竹製の〈へ〉の字形のもので,握りの部分に籐(とう)を巻き,多く漆塗りにする。〈しっぺい〉は漆篦の宋音とされる。
語源遺産 (38)竹篦(しっぺい)
これね。後ろの解説で秋月さんは色即是空、空即是色の話ももって来ている。
目の前にある物を「竹篦」と呼ぶのは差別の世界であると。この差別は「相手を貶める」という意味は無くて、周囲からその物を別の物と区別する、みたいな意味ですね。色の世界でもある。
そして「竹篦」と呼ばず、区別せず、万物と同じ平等に見る。この平等は「(ひとつひとつが)みんな同じ」っていうある意味、政治的・社会的・経済的な平等では無く、もっと渾然一体となっている、みたいな意味だと思います。空の世界でもある。
で色の世界だけでなく、空の世界もあるのだ、というところに行かないといけない。色即是空ですね。竹篦と言わない世界。ところが、そこに満足し、またその理解はちょっと嬉しいものであるのでそこに捕らわれてしまいがち。色即是空を理解・感得した上でもう一度空即是色の世界にも戻ってくるというのか、同時にある、というのかそこを理解・感得しなきゃなあ、ということだと思います。
これは「自閉症」と同じだと思う。徹底的に他と区別し、「自閉症」とはこんなものだ、と理解・感得する。しかし「そんなものは無い。どうだっていいのだ」という世界も理解・感得する。で、その上でまた「自閉症」といものが「ある」世界にも戻ってくる。
そんなことじゃないかなあ。
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